資料区分 県史複製
請求番号 H13-1-1近世
文書群名 田島区有文書
伝存地 富士見村(現前橋市)
出所 前橋市富士見町田島
地名 上野国勢多郡田島村/前橋県、群馬県勢多郡田島村(明治4年)/熊谷県勢多郡田島村(明治6年)/群馬県勢多郡田島村(明治9年)/南勢多郡田島村(明治11年)/南勢多郡富士見村大字田島(明治22年)/勢多郡富士見村大字田島(明治29年)/前橋市富士見町田島(平成21年・2009年~現在)
旧支配 寛永12年(1635)前橋藩領/明治4年前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」335石余、うち田方232石余・畑方102石余、「元禄郷帳」335石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに478石余。元禄2年(1689)の水帳によると、田方23町4反余・畑方8町2反余・屋敷1町9反余の合計33町5反余、石高は335石(『富士見村誌続編』)。明和元年(1764)の明細帳によると、村役人は名主1・組頭3・長百姓1、反別は54町余のうち上麦田2反余・中麦田7反余・下麦田6町余・中田2町余・下田4町4反余・下々田9町9反余・下々下田4町3反余・上畑8畝余・下畑2町5反余・下々畑14町6反余・下々下畑7町4反余・屋敷1町9反余、家数72、人数196のうち男58・女138、馬24。脇街道の沼田街道米野村・溝呂木村の助郷人馬を勤めた。地内の大川と細ヶ沢川は、古くは灌漑用水の役割を果たした。字赤城には、塩沢家の氏神である赤城神社があった。
伝来 前橋市富士見町田島
数量 24
年代 万延元年(1836)~明治13年(1880)2月
構造と内容 乍恐以書付御訴訟申上候御事(赤城黒檜山より鳥居峠梨木山までの境論、貞享4年)、上野国勢多郡之内田島村辰開発(開発地書上、元禄13年)、村明細帳(江戸屋敷江戸見坂松平大和守領分、明和元年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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