資料区分 県史複製
請求番号 H13-3-3近世
文書群名 衣裳倉文書
伝存地 富士見村(現前橋市)
出所 前橋市富士見町横室・田村家
地名 上野国勢多郡横室村/前橋県、群馬県勢多郡横室村(明治4年)/熊谷県勢多郡横室村(明治6年)/群馬県勢多郡横室村(明治9年)/南勢多郡横室村(明治11年)/南勢多郡富士見村大字横室(明治22年)/勢多郡富士見村大字横室(明治29年)/前橋市富士見町横室(平成21年・2009年~現在)
旧支配 寛永12年(1635)前橋藩領/明治4年前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」630石余、うち田方487石余・畑方142石余、「元禄郷帳」630石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに705石余。元禄13年(1700)の水帳によると、田方33町7反余・畑方13町7反余・屋敷3町2反余の合計50町7反余、石高は603石(『富士見村誌続編』)。明和元年(1764)の明細帳によると、反別69町余のうち田方34町余・畑方32町余・屋敷3町余、他に山畑1町余、高701石余、家数90、人別395のうち男200・女195、馬18(『富士見村誌』)。下庄司ヶ原には諏訪大明神、字陣場には神明宮があったが、文化7年(1810)諏訪大明神は字薊の風仏屋敷に、文化13年(1816)神明宮も同地に移転した。字陣場には伊勢の大神が祀られ、明治初年頃まで杉の古木が茂っていたが、のち御伊勢の平と称するようになる。陣場という地名の由来は、太田道灌が上杉勢と戦った時、当地に陣を張ったことに由来するとされる。元の諏訪神社があった地には、樹齢1,000年とされる国天然記念物横室の大かやがある。当地方では、歌舞伎の地芝居が盛んに行われ、禁令にもかかわらず安永・天明・寛政・文化年間頃に上演されている。歌舞伎衣裳は、県重要文化財に指定され、横室会館の庭の倉庫に収蔵される。
伝来 前橋市富士見町横室
数量 11
年代 弘化5年(1848)1月~明治3年(1870)9月
構造と内容 江戸入用覚帳(弘化5年)、花覚帳(嘉永2年)、桑町御祭礼番附帳(文久2年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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