資料区分 県史複製
請求番号 H13-6-2近世
文書群名 時沢区有文書
伝存地 富士見村(現前橋市)
出所 前橋市富士見町時沢
地名 上野国勢多郡不動堂村/前橋県、群馬県勢多郡不動堂村(明治4年)/熊谷県勢多郡不動堂村(明治6年)/群馬県勢多郡時沢村(明治9年、不動堂村と中島村が合併)/南勢多郡時沢村(明治11年)/南勢多郡富士見村大字時沢(明治22年)/勢多郡富士見村大字時沢(明治29年)/前橋市富士見町時沢(平成21年・2009年~現在)
旧支配 寛永12年(1635)前橋藩領/明治4年前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」401石余、うち田方340石余・畑方60石余、「元禄郷帳」には見えず、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに659石余。元禄13年(1700)の水帳によると、高393石余、反別62町6反余のうち田方19町6反余・畑方38町2反余・屋敷4町6反余の合計90町2反余(『富士見村誌続編』)。寛延2年(1749)の書上帳によると、村役人は名主1・組頭2、給分は名主が銭5貫800文、組頭は1人につき銭5貫文と高役1反歩引き。高626石余・反別は137町余のうち田26町余・畑110町余、他に新田畑33石余・反別11町3反余。嶺村ほか7か村の80人が田畑13町余を入作し、当村からは小坂子村ほか6か村へ12人が畑5町余を出作していた。畑作物は、大豆・粟・稗・菜・大根・麦。田の肥料は、赤城山の秣と干鰯、畑は秣・粉糠。男稼ぎは、耕作のほか、秣・薪取り、女稼ぎは夏が蚕飼い・糸稼ぎ、冬が木綿買い布。家数は、本百姓171・水呑23、人数813のうち男441・女372、馬40。大工3・鍛冶2・萱屋根葺き5・桶屋3・紺屋1・寺1・猟師5・酒屋1(酒造米高5石)。蚕は、村中で年30両ほどの糸・繭にして前橋の市にて売る(『富士見村誌』)。地内前山に観音堂がある。中諏訪の南に安楽寺がある。
伝来 前橋市富士見町時沢
数量 46
年代 元禄6年(1693)9月~明治6年(1873)6月
構造と内容 上野国勢多郡之内不動堂村新田・辰より亥迄新田水帳(元禄6年)、上野国勢多郡中嶋村水帳 壱冊(宝永8年)、銘細帳 控(天保12年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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