資料区分 県史複製
請求番号 H13-6-4近世
文書群名 中島区有文書
伝存地 富士見村(現前橋市)
出所 前橋市富士見町時沢
地名 上野国勢多郡中島村/前橋県、群馬県勢多郡中島村(明治4年)/熊谷県勢多郡中島村(明治6年)/群馬県勢多郡時沢村(明治9年、中島村と不動堂村が合併)/南勢多郡時沢村(明治11年)/南勢多郡富士見村大字時沢(明治22年)/勢多郡富士見村大字時沢(明治29年)/前橋市富士見町時沢(平成21・2009年~現在)
旧支配 寛永12年(1635)前橋藩領/明治4年前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」・「元禄郷帳」には見えず、「天保郷帳」・「旧高旧領」とも98石余。宝永8年(1711)の中島村新田水帳によると、反別は田方1町4反余・畑方22町4反余・寅から戌年迄畑方新田1町5反余・屋敷9反余、分米98石余(『富士見村誌続編』)。寛延2年(1749)の明細帳によると、村役人は名主1・組頭2、給分は1か年名主が銭7貫500文、組頭は1人につき銭1貫文。反別は24町余のうち田1町4反余・畑23町4反余、他に畑方新田1町5反石余。他村から14人が1町8反余の入作、当村から不動堂村へ田畑7町、小暮村へ田畑5町、計12町を36人で出作していた。畑作物は、粟・稗・秋菜・大根。田の肥料は、馬屋肥やし・刈敷・干鰯、畑肥料は馬肥やし・粉糠・えがすを使用した。男稼ぎは、耕作のほか、秣・薪取り、女稼ぎは木綿布・上せ糸。家数は、本百姓51、人数224のうち男127・女97、馬12。鍛冶2・山伏2(『富士見村誌』)。諏訪に諏訪神社がある。
伝来 前橋市富士見町時沢
数量 62
年代 享保4年(1719)~明治5年(1872)10月
構造と内容 田畑起返り亥ノ改帳(享保4年)、諸職人掟(寛政6年)、諸色取調帳(天保5年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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