資料区分 県史複製
請求番号 H13-10-1近世
文書群名 漆窪区有文書
伝存地 富士見村(現前橋市)
出所 前橋市富士見町漆窪
地名 上野国勢多郡漆窪村/前橋県、群馬県勢多郡漆窪村(明治4年)/熊谷県勢多郡漆窪村(明治6年)/群馬県勢多郡漆窪村(明治9年)/南勢多郡漆窪村(明治11年)/南勢多郡富士見村大字漆窪(明治22年)/勢多郡富士見村大字漆窪(明治29年)/前橋市富士見町漆窪(平成21年・2009年~現在)
旧支配 寛永12年(1635)前橋藩領/明治4年前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」219石余のうち田方157石余・畑方61石余、「元禄郷帳」128石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」とも193石余。元禄2年(1689)の水帳によると、反別13町4反のうち、田方7町7反余・畑方4町7反余・屋敷8反余、高128石余(『富士見村誌続編』)。字榎畑には、長享元年(1487)漆窪城主長尾大膳長景が草創したという曹洞宗富雄山長桂寺があり、本尊華厳釈迦牟尼仏は、長尾氏が開創した時に造られ、運慶の作と伝わる。本堂は、寛延4年(1751)に建立されたが、昭和60年(1985)の火災により焼失した。
伝来 前橋市富士見町漆窪
数量 6
年代 元禄2年(1689)4月~弘化4年(1847)8月
構造と内容 上野国勢多郡一ノ木場村新田・辰より亥迄新田水帳(元禄2年)、曹洞宗門御改帳(安政3年)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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