資料区分 県史複製
請求番号 H12-3中世
文書群名 狩野元之助家文書
伝存地 赤城村(現渋川市)
出所 旧勢多郡赤城村溝呂木(現渋川市赤城町溝呂木)
地名 勢多郡溝呂木村(近世)/南勢多郡溝呂木村(明治11年)/南勢多郡横野村大字溝呂木(明治22年)/勢多郡横野村大字溝呂木(明治29年)/勢多郡赤城村大字溝呂木(昭和31年)/渋川市赤城町溝呂木(平成18年~現在)
旧支配 初め前橋藩領/明和5年(1768)幕府領(嘉永5年村銘細帳)文化9年(1812)幕府領・旗本大久保氏と相給/明治元年(1868)岩鼻県/同4年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県/同11年群馬県南勢多郡に所属
歴史 【溝呂木】「溝呂木」の地名は、往古みぞろが池があって、蛇抜けといわれる崩壊によって消滅したと伝えられる池にちなむという。▼「みぞろ」は真泥の訛という。「和名抄」勢多郡九郷の一つ深渠郷の地というが、その証拠はない。▼字駒場は、古代拝志牧の集馬場であったと伝えられる。▼中世末には、白井城主長尾氏の幕下狩野隠岐守祐範、南雲大膳らが居住し、その墓が大蓮寺跡墓地にある。祐範の子狩野直之助宅には系図や北条氏直の感状などが残されている。▼なお、年未詳8月17日の狩野隠岐守宛て北条氏直感状写(狩野元之助家文書/群馬県史 資料編7、№1)に「次去月廿一日溝呂木之地之南雲大膳、於森下敵弐人打捕」と見るが、この史料は検討の余地があるという。
伝来 狩野元之助家
数量 5(簿冊1)
年代 天正14年(1586)10月10日~
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は4点。№2「上野国狩野庄氏神正八幡宮棟札扣」〔天正14年10月〕、№1「北条氏直判物写(長井坂・溝呂木等の守り堅固に付感状)」〔8月17日〕、№3「狩野系図」〔年次不詳〕、№4「狩野系図」〔年次不詳〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『群馬県史 資料編7』、『群馬県勢多郡横野村誌』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 2 勢多郡(2)』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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