資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H13-13-2近世 |
文書群名 |
米野区有文書 |
伝存地 |
富士見村(現前橋市) |
出所 |
前橋市富士見町米野 |
地名 |
上野国勢多郡米野村/前橋県、群馬県勢多郡米野村(明治4年)/熊谷県勢多郡米野村(明治6年)/群馬県勢多郡米野村(明治9年)/南勢多郡米野村(明治11年)/南勢多郡富士見村大字米野(明治22年)/勢多郡富士見村大字米野(明治29年)/前橋市富士見町米野(平成21年・2009年~現在) |
旧支配 |
寛永12年(1635)前橋藩領/明治4年前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県 |
歴史 |
村高は、「寛文郷帳」354石余のうち田方250石余・畑方103石余、「元禄郷帳」306石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに504石余。天和3年(1683)山口村を分村。元禄2年(1689)の水帳によると、反別は田方17町3反余・畑方9町2反余・屋敷3町1反余、合計29町8反余、高306石余(『富士見村誌続編』)。沼田街道が開かれてから宿場として栄え、地内の字窪谷戸に本陣、周辺に脇本陣・問屋があり、恵比寿屋・三国屋・亀屋・豊島屋・若松屋・中屋・醤油屋・中島屋・中蔵屋・油屋・米屋などの屋号をもつ商家が立ち並んでいた。「見張り番所村々出前控帳」によると、幕末期に恵比寿屋に番所が設けられ、付近の村役人1人・人足4人が交替で詰めて通行人の取締にあたった。字窪谷戸には郷蔵があり、当村600石・原之郷800石・真壁村800石の年貢が収納された。 |
伝来 |
前橋市富士見町米野 |
数量 |
58 |
年代 |
元禄2年(1689)4月~明治5年(1872)12月 |
構造と内容 |
上野国勢多郡之内米野村水帳 壱冊(元禄2年)、大工職方工料飯米渡覚(安政2年)、見張番所旅人改帳などがある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |