資料区分 県史複製
請求番号 H14-3-1近世
文書群名 養林寺文書
伝存地 大胡町(現前橋市)
出所 前橋市堀越町
地名 上野国勢多郡堀越村/岩鼻県、群馬県勢多郡堀越村(明治4年)/熊谷県勢多郡堀越村(明治6年)/群馬県勢多郡堀越村(明治9年)/南勢多郡堀越村(明治11年)/南勢多郡大胡村大字堀越(明治22年)/勢多郡大胡村大字堀越(明治29年)/勢多郡大胡町大字堀越(明治32年)/前橋市堀越町(平成21年・2009年~現在)
旧支配 初め大胡藩領/元和3年(1617)前橋藩領/明和5年(1768)幕府領/天明年間(1781~1789)より館林藩領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 大胡城に牧野氏が入っていた頃、当地は大胡城下の武家地になり、多くの寺院も配置された。前橋藩領となっても酒井氏時代には大胡城代が置かれ、村内の武家地も維持されたが、松平氏が前橋藩主になると城代も廃され、武家屋敷も取り去られた。村高は、「寛文郷帳」288石余のうち田方194石余・畑方94石余、「元禄郷帳」288石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに830石余。寺院は、曹洞宗永竜寺・長善寺、浄土宗養林寺がある。神社は、諏訪神社・愛宕神社・神明社があった。このうち養林寺は、天正18年(1590)牧野康成の開基で、支院に安養寺がある。「旧高旧領」によると、村内に91石余、河原浜村に8石余、宮関村に2斗余の寺領が記載されている。幕末の改革組合村高帳では、大間々寄場組合に属し、高679石余・家数120。
伝来 前橋市堀越町
数量 18
年代 慶長9年(1604)11月~明治35年(1902)
構造と内容 養林寺領之事(権現様御朱印状写、慶長9年)、御請(開山大師六百五十年忌御導師御勤め請書、嘉永6年)、御寺領御林絵図(古図写、安政6年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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