資料区分 県史複製
請求番号 H15-1-3近世
文書群名 宮城村役場所蔵文書
伝存地 宮城村(現前橋市)
出所 前橋市鼻毛石町 旧宮城村役場
地名 勢多郡鼻毛石村/南勢多郡鼻毛石村(明治11年)/南勢多郡宮城村大字鼻毛石(明治22年)/勢多郡宮城村大字鼻毛石(明治29年)/前橋市鼻毛石町(平成16年)
旧支配 初め大胡藩領/元和2年(1616)前橋藩領/明和6年(1769)幕府領/慶応4年(1868)前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」261石余で、うち田方204石余・畑方56石余、「元禄郷帳」261石余、「天保郷帳」「旧高旧領」とも661石余。約150年間に400石増、2.6倍に増えている。盛んな新田開発、特に赤城山麓の畑地開発によるもの。明和7年(1770)の家数83・人数360、馬15疋(北爪家文書/『群馬県史 資料編13』)。神社は八幡神社、寺院は赤城寺がある。
伝来 前橋市鼻毛石町 旧宮城村役場
数量 33
年代 貞享4年(1687)9月~明治4年(1871)12月
構造と内容 旧宮城村域の近世検地水帳などが集められている。貞享4年は、鼻毛石村新田帳のみ。元禄2年(1689)は、西柏倉村・東柏倉村・馬場村・大前田村・苗ヶ嶋村・鼻毛石村の水帳、元禄13年は苗ヶ嶋村水帳のみである。宝永8年(1711)は、鼻毛石村・苗ヶ嶋村・大前田村・西柏倉村・東柏倉村・馬場村の水帳がある。享保10年(1725)は、市之関村の水帳のみ。享保16年は、西柏倉村・東柏倉村・苗ヶ嶋村の水帳がある。安永4年(1775)は、苗ヶ嶋村の新田検地帳のみである。また、神社御取調書上帳(明治4年)もある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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