資料区分 県史複製
請求番号 H15-6-11近世
文書群名 北爪・東宮・大崎家持廻り文書
伝存地 宮城村(現前橋市)
出所 前橋市苗ヶ島町 北爪家・東宮家・大崎家
地名 勢多郡苗ヶ島(苗ヶ嶋)村/南勢多郡苗ヶ島村(明治11年)/南勢多郡宮城村大字苗ヶ島(明治22年)/勢多郡宮城村大字苗ヶ島(明治29年)/前橋市苗ヶ島町(平成16年)
旧支配 初め大胡藩領/元和2年(1616)前橋藩領/明和6年(1769)幕府領/のち、下野国佐野藩領/明治4年(1871)佐野県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」657石余で、うち田方484石余・畑方173石余、「元禄郷帳」657石余、「天保郷帳」「旧高旧領」とも989石余。約150年間に332石増。新田開発、特に赤城山麓の畑地開発によるもの。享保11年(1726)の五人組改帳によると、家数140・人数687(『宮城村誌』)。文化3年(1803)の産業帳控(苗ヶ島区有文書/『宮城村誌』)によると、用水は粕川や自然出水・溜井などから取り入れた。畑は、夏作には大豆・小豆、秋作には粟・稗などを作り、養蚕も行い、各戸で糸を取り大間々町へ出して売ったとある。女は、木綿糸・蚕糸をとり、男は山林へ入って薪をつくり、大間々町や前橋町へ出した。また、伊勢崎町から飛脚屋が来て江戸への便りを出した。同年の村明細帳(同前)によると、戸数129戸、人数445のうち男251・女194。湯之沢の温泉は、当村の5人で管理し、毎年2月下旬から10月上旬まで湯を沸かして湯治人を受け入れた。湯治の料金は、世帯道具や座敷を含めて1人1日28文で、痛風・筋骨痛・できもの・切疵・痔病などへの効能がうたわれた。湯之沢温泉の湯権については、当村と三夜沢村(赤城神社)との間に争論があったが、元禄6年(1693)の幕府裁許により、湯坪7軒を当村(前橋藩領)の百姓が支配していることを根拠として当村の湯権が認められた。寺院は、金剛寺がある。江戸期から明治期にかけて寺子屋・私塾が4か所あった。
伝来 前橋市苗ヶ島町 北爪家・東宮家・大崎家
数量 5
年代 元禄6年(1693)12月~慶応3年(1867)4月
構造と内容 御裁許御裏書絵図写(赤城明神社人野論一件、元禄6年)、赤城山荒山伐木一件につき割合帳(嘉永2年)、赤城山伐木一件諸入用帳(慶応3年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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