資料区分 県史複製
請求番号 H15-7-1近世
文書群名 田島清一郎家文書
伝存地 宮城村(現前橋市)
出所 前橋市大前田町 田島家
地名 勢多郡大前田村/南勢多郡大前田村(明治11年)/南勢多郡宮城村大字大前田(明治22年)/勢多郡宮城村大字大前田(明治29年)/前橋市大前田町(平成16年)
旧支配 初め大胡藩領/元和2年(1616)前橋藩領/明和6年(1769)幕府領/慶応4年(1868)前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」391石余で、うち田方318石余・畑方72石余、「元禄郷帳」391石余、「天保郷帳」「旧高旧領」とも646石余。約150年間に255石増。新田開発、新畑開発によるもの。宝永8年(1711)の「新田検地帳」(「宮城村役場所蔵文書」/『宮城村誌』)によると、元禄11年(1698)から宝永3年(1706)の間に26町1反余・分米75石余が開発された。当村は大旱地であり、水不足を補うため大堤・女房沼・十二沼などの溜池が活用された。鎮守は諏訪神社で、江戸期からの獅子舞が伝わっている。幕末期から明治初期にかけての侠客・大前田英五郎は当村の出身である。
伝来 前橋市大前田町 田島家
数量 2
年代 年次不詳
構造と内容 〔金子返納延べ引き難渋につき口書〕〔悴清十郎につき礼状〕(共に年次不詳)がある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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