資料区分 県史複製
請求番号 H16-2-1近世
文書群名 月田近戸神社文書
伝存地 粕川村(現前橋市)
出所 前橋市粕川町月田 月田近戸神社
地名 勢多郡月田村/南勢多郡月田村(明治11年)/南勢多郡粕川村大字月田(明治22年)/勢多郡粕川村大字月田(明治29年)/前橋市粕川町月田(平成16年)
旧支配 初め大胡藩領/元和2年(1616)前橋藩領/明和6年(1769)幕府領/天明5年(1785)川越藩領/天保14年(1843)幕府領、同年旗本小笠原氏領・田沼氏領の相給/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年(1871)第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」940石余で、うち田方719石余・畑方220石余、「元禄郷帳」940石余、「天保郷帳」「旧高旧領」とも1,057石余。約150年間に117石増。寛延2年(1749)の書上帳(『粕川村誌』)によると、検地が正徳6年(1716)に行われ、村高1,057石余のうち田51町余・畑61町余・新田20石余(うち畑7町余)。年貢の他に、糠・藁・萱の小物成もあった。百姓屋敷数172、人数713、馬73、医者1・大工3・屋根ふき3・桶屋2・紺屋1・山伏3・猟師3。集落は、村の東に60軒・西に40軒・南に44軒・北に28軒。村役人は、名主1・組頭5、郷蔵番は代わり番でつとめた。生業は農業で、田には、わせほっこく・おくほっこく・遍にくろ・やろく・餅稲などを作り、畑には芋・大豆・小豆・菜・阿王・大根・稗・大麦・小麦を作った。田の肥料には、麦藁・刈敷・干鰯、畑の肥料には馬草・粉糠を使った。農間に、男は赤城山入会地にて薪・馬草をとり、女は糸とり・木綿布織りを業とした。養蚕を行い、生糸にして大胡町や大間々町の市に出し、村中で年50両ほどであった(『粕川村誌』)。天保14年(1843)の分郷により、旗本小笠原氏領193石余は小月田村・上月田村、旗本田沼氏領863石余は大月田村・下月田村と称し、名主がそれぞれに置かれた。神社は、粕川に濁り酒を流す神事が行われる近戸神社、寺院は寺子屋を営んだ天台宗医王山薬王院東寿寺があった。
伝来 前橋市粕川町月田 月田近戸神社
数量 22
年代 天明6年(1786)5月~明治13年(1880)9月
構造と内容 〔月田村・東田面村他3か村溜井利用争論内済書〕(天明6年)、〔鎮守近戸明神社木伐採争論内済証文〕(弘化3年)、〔曲田組組頭不信任火札詮議書〕(文久3年)、〔月田村内用水溜井樋番につき議定書〕(慶応2年)、旧領主沿革取調簿(勢多郡月田村、明治13年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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