資料区分 県史複製
請求番号 H15-1中世
文書群名 北爪守雄家文書
伝存地 宮城村鼻毛石(現前橋市)
出所 旧勢多郡宮城村鼻毛石(現前橋市鼻毛石町)
地名 勢多郡鼻毛石村(江戸期)/南勢多郡鼻毛石村(明治11年)/南勢多郡宮城村大字鼻毛石(明治22年)/勢多郡宮城村大字鼻毛石(明治29年)/前橋市鼻毛石町(平成16年~)
旧支配 天正18年(1590)徳川氏直轄領/大胡藩領/元和2年(1616)前橋藩領/明和6年(1769)幕府領/慶応4年(1868)前橋藩領/明治4年(1871)前橋県、第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年~第二次群馬県
役職等 鼻毛石村名主など
歴史 【中世 鼻毛石】戦国期に見える地名。勢多郡女淵郷のうち。天正年間中頃と推定される年未詳9月25日の長尾顕長宛行状(「北爪重一氏所蔵文書」/群馬県史 資料編7所収)に「女淵郷はなけ石之内五貫文之所に苗島之内廿貫文之所差添、為加恩出置之候」とあり、当地のうち5貫文の地などが北爪主計助に宛行われている。▼なお、当地は女淵郷に含まれていた。天正年間中頃のものと推定される年未詳5月6日の北爪出羽守長秀の寄進状(「奈良原文書/同前」)によれば、「はなけいし」のうちの「竹之内」「い気のしり」「里うこ阿ん」などで300文の地が三夜沢赤城神社に寄進されている。竹之内・いけのしりは、当地の小字名として現在も残っている。▼さらに、天正18年2月21日の北条家朱印状(北爪家文書/同前)によれば、当地をはじめ苗ヶ島・友成・深津で合わせて142貫文の給地が北爪大蔵ら25名の地衆(地侍)に宛行われている。宛行われた貫高は3貫文から10貫文である。
伝来 北爪守雄家
数量 5(簿冊2)
年代 天正8年(1580)辰2月~天正18年(1590)庚寅年2月、他
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は5点。№1「北条氏邦書状(走廻感謝及び新田・館林へ渡した土地引立ての件)」〔10月14日〕、№2「北条氏邦朱印状(縁喜郷の代官職引立て)」〔12月8日〕、№3「北条氏邦感状(山上城の戦にて忠節に付)」〔(天正8年)辰2月27日〕、№4「北条家朱印状(北爪大蔵他の給田宛行)」〔(天正18年)庚寅年2月21日〕、№5「〔鼻毛石村北爪家縁者書上帳〕」〔年次不詳〕
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 同家の原本は北爪行文家文書(P00601)。▼『群馬県史 資料編7』、『宮城村誌』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌3 勢多郡(3)』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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