資料区分 県史複製
請求番号 H16-6-3近世
文書群名 深津区有文書
伝存地 粕川村(現前橋市)
出所 前橋市粕川町深津 深津区
地名 勢多郡深津村/南勢多郡深津村(明治11年)/南勢多郡粕川村大字深津(明治22年)/勢多郡粕川村大字深津(明治29年)/前橋市粕川町深津(平成16年)
旧支配 初め大胡藩領/元和4年(1618)前橋藩領/明和4年(1767)幕府領/明和5年(1768)館林藩領/明治3年(1870)岩鼻県/明治4年(1871)第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」731石余で、うち田方426石余・畑方304石余、「元禄郷帳」731石余、「天保郷帳」998石余「旧高旧領」1,728石余。寛政3年(1791)の「銘細書上帳控」によると、検地が正徳6年(1716)に実施され、村高964石余、田146町余・畑98町余、新田34石余・反別11町(うち山畑6町余)。本百姓161のうち、山伏2、人数631、馬40・馬医1・馬喰1。集落は、東(本郷)45軒・西(三ヶ尻)39軒、北(西迎)37軒・南(打越)40軒。村役人は、名主1・組頭4。生業は農業で、養蚕も行った(『粕川村誌』)。館林藩は、安政6年(1859)漆木5,260本、文久3年(1863)桑苗木5,000本・蚕種紙30枚を配るなど産業の振興に努めた。文久2年~明治4年の当村の養蚕関係出来高は、蚕種紙750枚・生繭252石・生糸99貫870匁(『群馬県史 資料編13』による)。神社は、近戸明神惣鎮守(現近戸神社)、牛頭天王惣鎮守(現八坂神社)。寺院は、真言宗豊山派阿弥陀山遍照院西福寺があり、寺子屋を営んだ。
伝来 前橋市粕川町深津 深津区
数量 81
年代 正徳6年(1716)3月~明治26年(1893)7月
構造と内容 東領深津村御検地帳(正徳6年)、赤城山立木被伐候出入一件下書(文化9年)、〔関東取締出役より農間諸商人取調請書〕(文政11年)、寺院明細書上帳(天保8年)、深津村井堰川除普請仕様帳(嘉永元年)、養蚕出来高書上帳(文久2年から明治4年まで10年分控、明治5年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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