資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H17-8-5近世 |
文書群名 |
須永利隆家文書 |
伝存地 |
新里村(現桐生市) |
出所 |
桐生市新里町山上 須永家 |
地名 |
勢多郡山上村/勢多郡山上内町村・山上新町村・山上後閑村・山上太郎左衛門分村/勢多郡山上村(明治9年)勢多郡南勢多郡山上村(明治11年)/南勢多郡新里村大字山上(明治22年)/勢多郡新里村大字山上(明治29年)/桐生市新里町山上(平成17年) |
旧支配 |
初め大胡藩領/慶長6年(1601)前橋藩領/明和5年(1768)幕府領/安永9年(1780)出羽国松山(松嶺)藩領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県 |
歴史 |
村高は、「寛文郷帳」1,346石余のうち、田方773石余・畑方572石余。幕末の改革組合村高帳では、大間々町寄場組合に属し、高1,248石余。明治初期の「上野国郡村誌」によると、民業は、男が農桑を業とする者136戸、農間に薪炭を作り、馬95頭。物産は、米・麦・大豆・繭糸などで、自用の他は大間々町へ移出する、とある。神社は、八幡社3・稲荷社2・諏訪社・愛宕社・大雷社・八坂社があった。寺院は、曹洞宗赤城山常広寺・同宗開田山正泉寺、天台宗功徳院無量寺・同宗長安寺、真言宗里尾山相応寺があった。 |
伝来 |
勢多郡新里村山上 須永家 |
数量 |
10 |
年代 |
文政12年(1829)9月~元治元年(1864)4月 |
構造と内容 |
須永利隆家は「山上」としているが、内容的にはほとんどが近世勢多郡奥沢村名主(村方)文書である。借上金受取書(天保7年)、借用年賦金証文(弘化2年)、縁組証文(安政6年)、質地証文(元治元年)などがある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |