資料区分 県史複製
請求番号 H17-12-2近世
文書群名 鏑木亀次郎家文書
伝存地 新里村(桐生市)
出所 桐生市新里町新川 鏑木亀次郎家
地名 勢多郡新川村/南勢多郡新川村(明治11年)/南勢多郡新里村大字新川(明治22年)/勢多郡新里村大字新川(明治29年)/桐生市新里町新川(平成17年)
旧支配 初め幕府領/承応2年(1653)幕府領・旗本鳥居氏領(500石余)の相給/元禄15年(1702)幕府領(253石余)・旗本鳥居氏領(500石余)・旗本平岡氏領(246石)の3給/元禄16年(1703)旗本横瀬氏領(253石余)・旗本鳥居氏領(500石余)・旗本平岡氏領(246石)の3給/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年(1871)岩鼻県、第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」1,000石余のうち、田方229石余・畑方770石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」ともに1,017石余。神社は、八幡社2・菅原社・雷神社・赤城社・熊野社・愛宕社・白山社。寺院は、天台宗新光太平山妙殊院善昌寺・同宗行光山安養寺、曹洞宗新川山龍真寺がある。文政2年(1819)村明細帳によると、生業について男は農間に薪伐り・駄賃稼ぎ、女は生糸・木綿の糸引きとある。幕末から明治初期に横浜に店を構えるなど活躍した吉田幸兵衛は当村の出身。安政6年(1859)の横浜開港とともに同所弁天通に吉村屋を出店し、明治3年(1870)には伊藤博文と渡米して銀行制度などを視察した(『群馬県蚕糸業史 下』)。
伝来 勢多郡新里村新川 鏑木家
数量 6
年代 元禄4年(1691)8月~嘉永3年(1850)1月
構造と内容 大胡東領室沢村(現前橋市粕川町室沢)の五人組御改帳(元禄4年)、勢多郡山上新町村銘細帳(明和5年)、新川村名主の鏑木小兵衛差出の〔御用向き仰せ付けられ控帳〕などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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