資料区分 県史複製
請求番号 H18-1-2近世
文書群名 目黒八重治家文書
伝存地 黒保根村(現桐生市)
出所 桐生市黒保根町水沼 目黒家
地名 勢多郡水沼村/南勢多郡水沼村(明治11年)/南勢多郡黒保根村大字水沼(明治22年)/勢多郡黒保根村大字水沼(明治29年)/桐生市黒保根町水沼(平成17年)
旧支配 初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/天和2年(1682)幕府領/文化9年(1812)幕府領と旗本蜂屋氏領の相給/慶応4年(1868)6月岩鼻県/明治元年(1868)11月前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」いずれも270石余。文化8年(1811)の村明細帳によると、田1町余・畑46町3反余、家数73、人数290うち男159・女131。民業の多くは農耕が主であり、養蚕・製糸も盛んであった。狩猟・紙漉・漆とり少々。近世初頭に整えられた銅山街道は、村の東西を縦貫し宿場として繁盛した。銅山街道の沿線が幕府領であったことから、銅運搬・日光御法会の助郷役が頻繁に課せられた。名主は年番交替であったが、黒川山中18か村の郡中取締役であった当地の星野七郎右衛門が実権を握った。幕末期、当村は16か村組合の寄場となり、高270石余、家数52。明治6年(1873)、民間初の洋式器械製糸による水沼製糸所が星野長太郎によって開設された。また同年、群馬県第二番小学校として水沼小学校が設置された。
伝来 勢多郡黒保根村水沼 目黒家
数量 22
年代 寛永12年(1635)12月~文化9年(1812)9月
構造と内容 近世初期の年貢割付状など、同中期の年貢皆済目録、大工職人奉公人請状、天明元年(1781)桐生領20か村糸・絹・真綿の改料免除願書、天明4年大間々村近辺騒動参加者有無取調返答書などがある。また、享和年間の村方騒動関係の文書もある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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