資料区分 県史複製
請求番号 H18-3-3近世
文書群名 小林善作家文書
伝存地 黒保根村(現桐生市)
出所 桐生市黒保根町上田沢 小林家
地名 勢多郡上田沢村/南勢多郡上田沢村(明治11年)/勢多郡黒保根村大字上田沢(明治22年)/桐生市黒保根町上田沢(平成17年)
旧支配 初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/天和2年(1682)旗本の坂本・松平氏の相給、後に松平氏領は幕府領/慶応4年(1868)6月岩鼻県/明治元年(1868)11月前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
役職等 上田沢村名主・中組組頭、屋号は「車屋」
歴史 上田沢村は「花輪山中」と呼ばれ、山を越えた隣村花輪村の生活圏である。村高は、「元禄郷帳」944石余、「天保郷帳」959石余。宝永年間の村明細帳によると、戸数105、425人うち男120・女190、馬60。民業の多くは農耕と山仕事、女は糸繰り。寺院は、真言宗医光寺のほか栗生山医王寺・東原の真光寺・下組の泉蔵院があったが、明治初期に医光寺に併合された。医光寺所蔵の虚空蔵菩薩経1巻・虚空蔵菩薩像は県重要文化財。栗生神社本殿周囲壁面を埋める彫刻と前述医光寺本堂欄間彫刻(二十四孝)は、当代に多くの名作を残した関口文次郎の作である。関口文次郎の生家は関口宏(2010年死去)家で、墓は同家前の観音堂境内にある。幕末の改革組合村は水沼村寄場組合に属した。
伝来 勢多郡黒保根村上田沢 小林家
数量 96
年代 寛文11年(1671)10月~明治4年(1871)3月
構造と内容 近世上田沢村名主文書。近世後期・幕末期の文書点数が多い。近世初期・寛文期の上田沢村水帳3点、宝暦・明和期の上田沢村水帳、杉山・林・桑質物証文、栗生大明神別当出入内済証文などがある。近世後期~幕末・明治維新期では、夫食拝借金割合帳(天保8年)、宗門人別改帳(弘化3年)、潰百姓相続方議定帳(嘉永7年)、人別増減帳控(安政5年)、和宮様御下向につき松井田・安中両宿江加助郷入用大割合帳(文久2年)、〔水車見取り図〕(明治4年)などの文書が注目される。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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