資料区分 県史複製
請求番号 H18-4-2近世
文書群名 小林精一郎家文書
伝存地 黒保根村(現桐生市)
出所 桐生市黒保根町下田沢 小林家
地名 勢多郡下田沢村/南勢多郡下田沢村(明治11年)/南勢多郡黒保根村大字下田沢(明治22年)/勢多郡黒保根村大字下田沢(明治29年)/桐生市黒保根町下田沢(平成17年)
旧支配 初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/天和2年(1682)旗本酒井氏領・池田氏領の相給/幕府領・旗本池田氏の相給/文化9年(1812)旗本赤松氏領と旗本池田氏領の相給/慶応4年(1868)6月岩鼻県/明治元年(1868)11月前橋藩領/明治4年(1871)前橋県・第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「元禄郷帳」680石余、「天保郷帳」「旧高旧領」いずれも670石余。安永5年(1776)の高反別並諸色書上帳によると、旗本池田氏領503石余・幕府領161石余。同帳によると、幕府領は家数41うち寺1、人数177うち男95・女82、馬23、鉄砲3。清水・柏山・出合原・前田原の各地区は、台地にあるため水利に恵まれず、江戸末期に3本の用水路が開削された。これが清水堀・柏山堀・出会原堀で、前掲各地区の生活・灌漑用水を充たした。寺院は、上田沢村医光寺の末寺として、清水に愛宕山清水寺、鹿角に薬樹山源正寺、柏山に福林山吉祥寺、前田原に慈源山長清寺があったが、いずれも大正期までに上田沢の医光寺へ統合された。神社は柏山に赤城神社の本社があり、それぞれの地域に分社を勧請した。幕末の改革組合村高帳によると、水沼村寄場組合に属し、高670石余、家数139。明治6年(1873)、楡沢(ねりざわ)村を合併。明治7年、高270石余、家数52。
伝来 勢多郡黒保根村下田沢 小林家
数量 10
年代 寛文5年(1665)6月~天保9年(1838)4月
構造と内容 近世下田沢村村方文書。寛文期・元禄期の楡沢村水帳、宝永期・寛保期の年貢割付状、下田沢村差出書上帳(天保9年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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