| 資料区分 | 県史複製 | 
| 請求番号 | H19-2-5近世 | 
| 文書群名 | 関口善夫家文書 | 
| 伝存地 | 勢多郡東村(現みどり市) | 
| 出所 | みどり市東町花輪・関口善夫家 | 
| 地名 | 上野国勢多郡小夜戸村/岩鼻県勢多郡小夜戸村(明治元年)、群馬県勢多郡小夜戸村(明治4年)/熊谷県勢多郡小夜戸村(明治6年)/群馬県勢多郡小夜戸村(明治9年)/南勢多郡小夜戸村(明治11年)/南勢多郡東村大字小夜戸(明治22年)/勢多郡東村大字小夜戸(明治29年)/みどり市東町小夜戸(平成18年・2006年~現在) | 
| 旧支配 | 初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/のち再び幕府領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年(1871)第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県 | 
| 歴史 | 村高は、「寛文郷帳」で畑方304石余、「元禄郷帳」557石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに558石余。宝暦6年(1756)の村明細帳(『勢多郡誌』所収)によると、反別58町7反余、桑・楮6,225束、百姓家232、馬60、大工3人、座頭・指物・木挽き各1人、彫り物3人、畳屋・馬喰各2人、銅蔵1。銅蔵は、御用問屋に置かれたもので、現在も高草木家の屋敷内に残っている。当村は、毎月1・6・16・26日に市が立ち賑わった。銅の継ぎ送り人夫役を課せられ、その勤め方賃銭は、文政元年(1818)で永6貫474文余であった(高瀬家文書、『勢多郡誌』)。文政8年(1825)の村明細帳によると、年貢は金納であったが、小物成として、山銭永170余文・絹売り出し永11貫375文・漆売り出し永3貫100文・炭竈3口役永161文余・水車運上永250文・鉄炮役永250文、人数812、このうち男423・女389。鎮守は、素戔嗚尊・大己貴命を祀る三島神社、他に赤城神社・御霊神社などがある。寺院は、曹洞宗祥善寺、その末寺とされる普門寺・松林寺があり、他に修験宗光明寺がある。村の生活は、山寄のため、田は4反余にすぎず、他は全て畑。男は農閑期に炭焼き・駄賃稼ぎ、女は糸挽きなどに従事した。天保7年(1836)、米価高騰の折り、当村など23か村の百姓1,500人~1,600人が、大間々町へ押し寄せ、麻屋・糀屋・穀商の家へ押しかけたことがあった(赤城神社年代記、祥善寺記)。幕末の改革組合村高帳には、水沼村寄場組合に属し、高547石余、家数207。 | 
| 伝来 | みどり市東町花輪・関口善夫家 | 
| 数量 | 24 | 
| 年代 | 延享5年(1748)6月~明治6年(1873)12月 | 
| 構造と内容 | 乍恐以返答書申上候(新右衛門他2名の者御用夫伝馬不勤に付、延享5年)、為取替申証文之事(入会山へ杉並び諸木植出し出入、天保15年)、乍恐以書付奉願上候(農間質屋稼ぎ願、安政6年)などがある。 | 
| 検索手段 | 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録 | 
| 関連資料 | 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など | 
| 利用上の留意点 | 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |