資料区分 県史複製
請求番号 H19-8-1近世
文書群名 松島弘宜家文書
伝存地 勢多郡東村(現みどり市)
出所 みどり市東町沢入・松島家
地名 上野国勢多郡沢入村/岩鼻県勢多郡沢入村(明治元年)、群馬県勢多郡沢入村(明治4年)/熊谷県勢多郡沢入村(明治6年)/群馬県勢多郡沢入村(明治9年)/南勢多郡沢入村(明治11年)/南勢多郡東村大字沢入(明治22年)/勢多郡東村大字沢入(明治29年)/みどり市東町沢入(平成18年・2006年~現在)
旧支配 初め幕府領/寛文元年(1661)館林藩領/のち再び幕府領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年(1871)第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県
歴史 村高は、「寛文郷帳」で畑方90石余、「元禄郷帳」210石余、「天保郷帳」・「旧高旧領」ともに211石余。元文5年(1740)の村差出帳(小倉家文書、『勢多郡誌』)では、反別56町3反余。荏・大豆・御蔵所御入用並びに御伝馬宿入用米として、銀を上納するほか、桑・楮を対象とするものもあった。天保13年(1842)の差出銘細帳によると、年貢高永52貫597文余、炭生産に対して永2貫662文7分、炭竈54口役永2貫23文7分、絹売り出し永1貫790文、漆売り出し永155文、山銭永125文。鎮守は、東宮神社があり、他に八幡社など7社、山神宮16社。寺院は、禅寺の大沢寺・昌泉院、天台宗の善明寺、修験宗大乗院があった。作間稼ぎとして、男は炭焼き・駄賃稼ぎ・杣木挽き・屋根板生産、女は炭俵編み・薪取り・糸挽きなどに従事した。物資の売買には、花輪・大間々へ出向いた。銅山街道に面し、足尾から2里半の位置にあったため、銅送りのための銅問屋が置かれ、御銅蔵も設置された。村役人は、名主1・組頭3・百姓代2。押出川の支流の塔ノ沢の上流、標高1,000mの山岳中に、高さ18m・幅3mほどの沢入塔(相輪塔)と呼ばれる奇岩があり、その近くには江戸期の作とみられる寝釈迦像があり、それぞれ信仰を集めている。幕末の改革組合村高帳には、水沼村寄場組合に属し、高221石余、家数70。
伝来 みどり市東町沢入・松島家
数量 41
年代 寛文11年(1671)12月~明治3年(1870)8月
構造と内容 炭山控帳(文化14年)、差出し申一札之事(山境改め、文政5年)、取極申議定之事(諸木売買・山稼ぎ他、嘉永6年)などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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