資料区分 県史複製
請求番号 H20-4-3近世
文書群名 一宮和一家文書
伝存地 榛名町(現高崎市)
出所 高崎市榛名町榛名山 一宮家
地名 上野国群馬郡榛名山(近世)/群馬県群馬郡榛名山村(明治初年)/熊谷県群馬郡榛名山村(明治6年)/群馬県群馬郡榛名山村(明治9年)/西群馬郡榛名山村(明治11年)/西群馬郡室田村大字榛名山(明治22年)/群馬郡室田村大字榛名山(明治29年)/群馬郡室田町大字榛名山(明治38年)/群馬郡榛名町大字榛名山(昭和30年・1955年)/高崎市榛名山町・榛名湖町(平成18年・2006年~現在)
旧支配 寛永寺領(近世)/岩鼻県(明治元年・1868年)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月)/熊谷県(明治6年・1873年)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在)
歴史 江戸期には、関東各地に広まった榛名神の信仰集団である榛名講の人々によって門前町・社家町が形成された。寛永10年(1633)の五人組掟(榛名神社蔵文書)によると、家数44(御師の家数と推定)。元禄4年(1691)の五人組・人別宗旨改帳(一宮家文書)によると、家数77・人数464、そのうち住山者410・店者54。享保9年(1724)の家数99・人数585(『室田町誌』)。江戸期は、天台宗榛名山巌殿寺として、寛永寺の末寺光明寺から別当・学頭が派遣されて一山の管理にあたった。明治元年(1868)、廃仏毀釈により榛名神社となった。同2年に神仏分離届(広神家文書)が出されたが、榛名山村と称されるようになったのは、この頃からと思われる。
伝来 高崎市榛名町榛名山 一宮家
数量 47
年代 万治元年(1658)閏12月~明治4年(1871)2月
構造と内容 上野国群馬郡榛名山五人組人別宗旨改之帳(元禄4年)、往来状之事(廻国の者往来手形、安永6年)、乍恐書附を以歎願奉申上候(横堀村無宿宇助を留め置くに付詫状、天保14年)、などがある。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
先頭に戻ります。