資料区分 県史複製
請求番号 H19-1中世
文書群名 祥禅寺文書
伝存地 勢多郡東村(現みどり市)
出所 旧勢多郡東村花輪(現みどり市東町花輪)
地名 勢多郡花輪村(江戸期~)/南勢多郡花輪村(明治11年)/南勢多郡東村大字花輪(明治22年)/勢多郡東村大字花輪(明治29年)/みどり市東町花輪(平成18年~現在)
旧支配 元弘年間(1331~1334)新田氏領/桐生大炊之輔領/北条氏及び上杉氏の所管/天正18年(1590)徳川氏領/幕府領/幕末期は水沼村寄場組合に所属/明治4年(1871)前橋県、同年第一次群馬県/同6年熊谷県/同9年第二次群馬県。
歴史 【近世 花輪村】村高は、「寛文郷帳」で畑方304石余、「元禄郷帳」557石余、「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」ともに558石余。▼宝暦6年(1756)の村明細帳によると、反別58町7反余、桑楮6,225束、百姓家232、馬60、諸職に大工3人、座頭・指物・木挽各1人、彫り物3人、畳屋・馬喰各2人。銅蔵1、これは御用問屋に置かれたもので、現在も高草木家の屋敷内にある。▼毎月1・6・16・26日に市がたち賑わった。銅の継ぎ送り人足を課せられ、その勤め方賃銭は、文政元年(1818)で永6貫474文余。▼鎮守は、三島神社、赤城神社、御霊神社など。寺院は、曹洞宗の祥禅寺、その末寺の普門寺・松林寺、他に修験宗の光明寺がある。
伝来 【祥禅寺】曹洞宗。東西32間3尺南北36間、反別2反9畝22歩、本村西方にあり。かつて同寺の草創不詳といえども大同年間(806~810)赤城山麓に字カヂヤ坂なる所に寺跡今に存す。▼これを呼びて祥禅寺邸という。開基連綿たるを建久の頃本村に移し、数年後堂宇既に廃壊、猶数暦の星霜をへて慶長2年(1597)に至り武蔵国埼玉郡白岡村曹洞宗光善寺6世僧湛州雲竜を請し、ここに於いて再び伽藍を建築するを以て中興開山となす。▼慶安元年(1648)徳川氏より寺領10石5斗余の朱印を賜り、代々これを領す。明治4年に至り上地す。(『上野国郡村誌 3 勢多郡(3)』)
数量 4(簿冊1)
年代 天正15年(1587)6月~〔安政4年(1857)カ〕
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は4点。№1「校割牒 乾(赤城山祥禅寺)」〔明和8年2月〕、№2「校割牒 坤(赤城山祥禅寺)」〔(安政4年カ)〕、№3「有頂上一中位」〔天正17年5月〕、№4「〔仏法秘伝書カ〕」〔天正15年6月〕を所収
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『勢多郡東村誌』(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌 3 勢多郡(3)』、『勢多郡誌)』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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