資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H20-1中世 |
文書群名 |
木暮弥太郎家文書 |
伝存地 |
榛名町(現高崎市) |
出所 |
旧群馬郡榛名町高浜(現高崎市高浜町) |
地名 |
群馬郡高浜村(江戸期)/西群馬郡高浜村(明治11年)/西群馬郡久留馬村大字高浜(明治22年)/群馬郡久留馬村大字高浜(明治29年)/群馬郡榛名町高浜(昭和30年)/高崎市高浜町(平成16年~現在) |
旧支配 |
初め高崎藩領/元和元年(1615)安中藩領/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年~第二次群馬県 |
歴史 |
【高浜】字欠上に高浜砦城遺構、字遠北に武田氏の臣大熊伊賀守陣所遠北陣所遺構がそれぞれある。なお、江戸初期と推定される年未詳8月3日の北爪右馬助覚書(南部文書/群馬県史 資料編7)に高浜戸張の地名が見える。▼高浜は、板鼻城と箕輪城を結ぶ道の上にある。「箕輪軍記」によると、永禄6年(1563)の武田信玄による箕輪城攻めの際の布陣状況について、「西は高浜・白岩・愛宕の原」と見え、松井田・安中に拠る武田氏方の軍勢が当地など箕輪城周辺に布陣したことがわかる(県史料集3)。 |
伝来 |
木暮弥太郎家 |
数量 |
1(簿冊1) |
年代 |
永禄9年(1566)丙寅年6月22日 |
構造と内容 |
県史収集複製資料として公開している本文書群は1点。№1「武田家朱印状(忠節の際の宛行約束)」〔(永禄9年)丙寅年6月22日〕 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録 |
関連資料 |
『群馬県史 資料編7』、『榛名町誌 資料編Ⅱ 中世』(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌』など) |
利用上の留意点 |
本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |