資料区分 |
県史複製 |
請求番号 |
H21-4-1近世 |
文書群名 |
塚越鍋次家文書 |
伝存地 |
倉渕村(現高崎市) |
出所 |
高崎市倉渕町岩氷 塚越鍋次家 |
地名 |
上野国碓氷郡岩氷村(近世)/岩鼻県碓氷郡岩氷村(明治元年・1868年)/群馬県碓氷郡岩氷村(明治4年・1871年10月)/熊谷県碓氷郡岩氷村(明治6年)/群馬県碓氷郡岩氷村(明治9年)/碓氷郡烏渕村大字岩氷(明治22年)/群馬郡倉渕村大字岩氷(昭和30年・1955年)/高崎市倉渕町岩氷(平成18年・2006年~現在) |
旧支配 |
初め幕府領/下総国古河藩領(延宝7年・1679年)/幕府領(天和元年・1681年)/小幡藩領(寛延元年・1748年)/幕府領(明和4年・1767年)/岩鼻県(明治元年・1868年)/第一次群馬県(明治4年・1871年10月)/熊谷県(明治6年・1873年)/第二次群馬県(明治9年・1876年~現在) |
歴史 |
寛永20年(1643)川浦村から分村し、高169石余(塚越家文書)。村高は、「元禄郷帳」170石余、「天保郷帳」「旧高旧領取調帳」ともに169石余。天保9年(1838)の村明細帳(『倉渕村誌』)によると、村高169石余、反別21町8反余、そのうち田40石余・3町1反余、畑128石余・18町7反余。諸役は、川除普請21か所、土橋自普請所5か所、その他川浦の御林山・御巣鷹山の見廻り、大戸関所修復の人足差し出しなどがあった。文政9年(1826)の助郷引請書(倉淵村役場蔵文書)によると、松井田宿の御定人馬中5人・5疋の減員と上間仁田村の助郷人員半数休み役の代わりとして岩氷村などに助郷が命じられた(助郷高20石)。川浦村地内に、川浦村・岩氷村の惣鎮守の浅間神社があり、上諏訪神社、下諏訪神社、北野神社がある。幕末の改革組合村高帳によると、大戸村寄場組合に属し、高169石余、家数69であった。 |
伝来 |
高崎市倉渕町岩氷 塚越鍋次家 |
数量 |
3 |
年代 |
天保9年(1838)正月~元治2年(1865)正月 |
構造と内容 |
永代記録帳(天保9年)、〔凶作月改め・五姓人家造吉凶・薬法他写し〕(元治2年)、浅間神社奉額句合(可石大先生御評、年次不詳)がある。 |
検索手段 |
『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録 |
関連資料 |
参考文献:『角川日本地名大辞典10群馬県』、『群馬県姓氏家系大辞典』など |
利用上の留意点 |
本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。 |