資料区分 県史複製
請求番号 H22-2-1近世
文書群名 小沢清美家文書
伝存地 箕郷町(現高崎市)
出所 群馬郡箕郷町(現・高崎市) 小沢清美家
地名 群馬郡矢原村(近世)/群馬郡矢原村(明治4年~)/西群馬郡矢原村(明治11年~)/西群馬郡箕輪村矢原(明治22年~)/群馬郡箕輪村矢原(明治29年~)/群馬郡箕輪町矢原(大正10年~)/群馬郡箕郷町矢原(昭和30年~)/高崎市箕郷町矢原(平成18年~)
旧支配 高崎藩領(天正18年~、井伊氏)/幕府領(慶長6年~)/安中藩領(承応3年~、水野氏)/幕府領(享保年間)/旗本領の相給(文化9年~、小幡・松平・本多氏)/前橋藩領(慶応3年~、前橋松平家)/前橋県(明治4年)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 名主
歴史 矢原字卜神の小沢姓の総本家は弥平次家。戦国期、小沢治郎兵衛亮信縄の本拠は勢多郡小沢村(富士見村)で、和田山砦に住したといい(長野氏家臣録)、箕輪落城時には、小沢友信が城中で自害したという(箕輪軍記)。箕輪城の攻防時には東明屋に住んでいたが、江戸初期に八左衛門の子弥平次が卜神へ移住して芝起こしとなった。名主を世襲し、大正年間まで弥平次を襲名している。江戸末期には俊光が寺子屋の師匠を務め、漢学の指導をした。
伝来 小沢家に伝来。
数量 7
年代 享保10年(1795)~天保15年(1844)
構造と内容 矢原村の名主や百姓代から役所へ宛てた文書が大半を占め、内容は村の支配や運営に関するものが多い。差出帳・明細書上帳(1/11、1/20)2点、麦の買上についての文書2点(1/62、1/67)、金古宿助郷免除願(1/75)1点、「覚(田畑耕作外の商売物有無取調に付)」(1/96)、「差上申一札之事(諸端物・糸・真綿改料取立に付)」(1/98)からなる。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 『箕郷町誌』には小沢家から『群馬県史』収集ではない多くの史料がとられている。▼参考文献:『群馬県史』(特に「資料編10 近世2 西毛地域2」)、『箕郷町誌』、『角川日本地名大辞典10』[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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