資料区分 県史複製
請求番号 H22-7-1近世
文書群名 佐藤正三家文書
伝存地 箕郷町(現高崎市)
出所 群馬郡箕郷町(現・高崎市) 佐藤正三家
地名 群馬郡下芝村(近世)/群馬郡下芝村(明治4年~)/西群馬郡下芝村(明治11年~)/西群馬郡箕輪村下芝(明治22年~)/群馬郡箕輪村下芝(明治29年~)/群馬郡箕輪町下芝(大正10年~)/群馬郡箕郷町下芝(昭和30年~)/高崎市箕郷町下芝(平成18年~)
旧支配 高崎藩領(天正18年~、井伊氏)/幕府領(正保2年~)/安中藩領(承応3年~、水野氏)/高崎藩領(正徳元年~、間部氏)/高崎藩(大河内松平氏)と幕府の相給(享保2年~)/沼田藩領(明和9年~、土岐氏)/高崎藩領(天明2年~、大河内松平氏)/前橋県(明治4年)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 名主
歴史 下芝の佐藤氏は、在原業平に仕え、長野氏とともに京都から上野国へ来たと伝える。「長野氏家臣録」には、佐藤忠助・加七・文七の名があり、箕輪落城後は、下芝に土着して芝起こしとなり、村役人を務めた。大本家は正義家で、承応3年(1654)の水帳などを所蔵。江戸期には、高崎藩の万御用達を務め、代々名主を世襲した。江戸後期に材木商を営み、木屋を屋号とする。現在も一族で通称芝観音と呼ぶ木彫の如意輪観音を祀っているが、60年に1回の丙午の年に開帳されるもので、江戸期から子授け・安産・子育ての観音として、近郷の女性の信仰を受けた。
伝来 佐藤家に伝来。
数量 18
年代 承応3年(1654)~明治4年(1871)
構造と内容 下芝村の名主文書である。承応3年(1654)の縄打水帳2点(1/17、1/18)や、絵図を含む水論に関する文書2点(1/番外1、1/5)、観音信仰に関する文書2点(1/2、1/19)、助郷の免除願(1/8)などの他、土地や治安に関する文書や明治初期の高札等、多様な文書から構成されている。
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、インターネット検索目録
関連資料 「〔堰水論裁許絵図〕(生原村他3カ村と西明屋村堰水論)」(1/番外1)、「取替証文之事(榛名山御手洗用水引取9カ村領主分れに付)」(1/5)は『群馬県史』「資料編10 近世2 西毛地域2」に所収。▼検地、水論、観音開帳、助郷免除願については『箕郷町誌』にも記載がある。▼参考文献:『群馬県史』(特に「資料編10 近世2 西毛地域2」)、『箕郷町誌』、『角川日本地名大辞典10』[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]、『群馬県姓氏家系大辞典』など
利用上の留意点 本資料は撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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