資料区分 県史複製
請求番号 H20-3中世
文書群名 長年寺文書
伝存地 榛名町(現高崎市)
出所 旧群馬郡榛名町下室田(現高崎市下室田町)
地名 群馬郡下室田村(江戸期)/西群馬郡下室田村(明治11年)/西群馬郡室田村大字下室田(明治22年)/群馬郡室田村大字下室田(明治29年)/群馬郡室田町下室田(明治38年)/群馬郡榛名町下室田(昭和30年)/高崎市下室田町(平成16年~現在)
旧支配 初め高崎藩領/元和元年(1615)安中藩領/承応4年(1655)幕府領/寛文6年(1666)旗本本田氏領/天和2年(1682)幕府領/貞享3年(1686)旗本喜多見氏領/元禄2年(1689)幕府領/元禄5年(1692)幕府領・旗本米倉氏領の相給/元禄10年(1697)旗本松平氏・大久保氏・山村氏・鈴木氏の4給/宝永6年(1709)元鈴木氏領は吉井藩領/明治元年(1868)旗本領は岩鼻県/明治3年(1870)旧吉井藩領は岩鼻県/明治4年第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年~第二次群馬県
歴史 【下室田】地名(下室田)は、渓谷が多く田畑が散在する地形から諸田と呼ばれのち室田となったとも、榛名神社神領地としてのカムロギダからの転訛と考える平安期弘仁年間(810~824)からの伝承がある(稿本室田町郷土誌)。▼律令制時代の群馬評長野郷のうちと推定されている。▼字根古屋に中世後期長野業尚が築城した鷹留城跡、字下村に文亀元年(1501)業尚開基の曹洞宗長年寺がある。▼字松山に天正10年(1582)北条氏政・氏邦の臣武州松山城主上田氏の支城松山砦跡がある。▼字高権に中世創建の大森神社別当寺明照寺跡・知泉院跡・千乗院跡があり、字町に尊乗院跡、字宮谷戸に真福寺跡などがある。
伝来 曹洞宗 長年寺
数量 56(簿冊5)
年代 文亀2年(1502)8月12日~大正7年(1918)10月
構造と内容 県史収集複製資料として公開している本文書群は56点。№12「恵応印可状(元光等9名)」〔文亀2年8月〕、№17「恵応定書(光・正・育三首座の鼎の事)」〔文亀2年8月〕、№37「曇英和尚遺書写」〔文亀3年8月〕、№4「恵応壁書(中陰中の掟6カ条)」〔永正元年9月〕、№7「上杉憲房禁制(長年寺内にて濫妨狼藉の禁など)」〔永正9年6月〕、№9「長野憲業壁書(寺中の山にて伐採の禁など3カ条)」〔永正9年10月〕、№32「〔曹洞宗伝法之書〕」〔永正10年5月〕、№1「長年寺方育等壁書(曇英和尚遺戒により児孫と号す者門中不可)」〔永正14年11月〕、№18「平某禁制写(寺中にて濫妨狼藉の禁など)」〔大永2年3月〕、№14「武田家高札(寺中にて濫妨狼藉の禁など)」〔永禄6年12月5日〕、など
検索手段 『群馬県史収集複製資料』第1集、当館インターネット検索目録
関連資料 『榛名町誌 資料編Ⅱ 中世』、など(参考文献:『角川地名大辞典 10 群馬県』、『上野国郡村誌』など)
利用上の留意点 本資料は、マイクロ撮影による収集資料であり、閲覧は焼付製本による。
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