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利用選択 | 請求番号 | 文書番号等 | 表題 | 年代 | 差出 | 宛 | 形態・数量 | 文書群名 | |
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1 | PF9901 | 5/47 | 〔武田晴信感状写〕(信州上田原地で頸1ツ討取り、生捕1人の軍功を賞す)*写 | 天文17年8月24日 | (武田)晴信 | 浦野兵部 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
2 | PF9901 | 5/48 | 〔武田氏朱印状写〕(甲州山梨郡大野村120貫、信州佐久郡上畑村210貫の領地) | 永禄11年正月15日 | 山県三郎兵衛尉 | 浦野兵部少輔 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
3 | PF9901 | 2/15 | 小田原状 全*写 | 天正庚寅(天正18年)6月 | 榊原式部少輔康政 | 加藤主計 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
4 | PF9901 | 179/1659-1 | 東照宮御条目(諸神社の社家、禰宜・別当・神主などに対する規定)*写 | 慶長20年正月15日 | 御名乗御書判(徳川家康) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
5 | PF9901 | 179/1659-2 | 東照宮御条目(諸神社の社家、禰宜・別当・神主などに対する規定)*写 | 慶長20年正月15日 | 御名乗御書判(徳川家康) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
6 | PF9901 | 12/198 | 由緒書(碓氷関所定附渋谷亀之丞) | (元和年中) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
7 | PF9901 | 24/396 | 〔下知書〕(碓氷関所定附同心7人、鉄砲1挺ずつ所持差免)*写 | 寛永8年2月23日 | 老中月番永井信濃守 | 目付小幡弥市・能勢治左衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
8 | PF9901 | 24/397 | 御下知書(碓氷関所定附同心7人、鉄砲1挺ずつ所持差免)*写 | 寛永8年2月23日 | 永井信濃守 | 小幡弥市・能勢治左衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
9 | PF9901 | 13/213-2 | 〔触書〕(領主・番頭など不審の取り計らいについては、同心が江戸目付宅へ申し出べく) | 寛永8年3月8日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
10 | PF9901 | 13/212-1 | 十ヶ条写(碓氷御関所定附の身分に関する江戸幕府の下知状) | 寛永8年3月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
11 | PF9901 | 13/212-2 | 〔十ヶ条写〕(碓氷御関所定附の身分に関する江戸幕府の下知状) | 寛永8年3月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
12 | PF9901 | 13/216 | 〔書状〕(関所預りにつき同心7人・門番2人を預け置く、公儀御召抱ゆえ代々右の趣きで諸事を取計られたし)*写 | 寛永8年3月 | 小幡孫市・能勢治左衛門 | 井伊兵部少輔 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
13 | PF9901 | 5/51-1 | 重昌公・重矩公嶋原御出陣之節供仕候人数積覚 *1冊・ほか | 寛永14年11月より | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
14 | PF9901 | 25/435 | 定(関所通行規定) | 正保2年7月 | 奉行 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
15 | PF9901 | 183/475-1 | 碓氷御関所御条目覚 | 正保2年~文政6年 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
16 | PF9901 | 183/475-2 | 〔碓氷御関所御条目覚〕 | 正保2年~元禄10年 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
17 | PF9901 | 68/805 | 録冊 弐(御所替之節御関所請取之事など111~162番、126番松平喜八郎姫路より前橋へ所替一件、148番酒井雅楽頭姫路へ所替一件、152・153番松平右京大夫大坂城代にて家来の移動、154・15番松平喜八郎姫路より前橋へ所替一件、) | (正保2年~宝暦8年) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
18 | PF9901 | 13/218 | 〔書付〕(関所定附同心は時々裃御免、水野備前守が安中へ引移の時定附が番頭を勤める、板倉伊予守が安中引移りの時も前同様) | 承応元年 | 清水勘左衛門・嶋野治郞右衛門・渋谷有右衛門・佐藤名右衛門・長塩佐左衛門 | 上 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
19 | PF9901 | 170/1508 | 〔裁許絵図面裏書写〕(上州安中領中木村と西牧村との中木出入に関し検使入り、双方とも鎌留めとなり、絵図面を下さる) | 明暦2年2月12日 | 源左衛門・蔵人・次左衛門・将監・備前・出雲・右京 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
20 | PF9901 | 52/626 | 覚(上州中木村と西牧村との中木山論に対する裁許)*写 | 明暦2年6月 | 曾源左衛門・伊蔵人・神備前・松出雲 | 中木村名主・百姓 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
21 | PF9901 | 182/436 | 関所女手形可書戴之覚 | 寛文元年8月朔日 | 隼人正・長門守・左近大夫・美作守 | 碓氷関所人改衆中 | 継1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
22 | PF9901 | 179/1660 | 倫旨之写(妙心寺は諸宗無双の名刹、代々天子の御祈願所で諸宗座を超える) | 寛文3年3月 | 甘露右中弁・近衛院宦白 | 華園院妙心寺 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
23 | PF9901 | 17/326-1 | [ ]之事(横川御門番・定番、堂峯定番への亥年暮の切米請取状)*破損 | 寛文11年12月 | 横川門番平右衛門・九兵衛・横川定番清水佐次右衛門ほか6名 | 吉増三郎右衛門・成田十右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
24 | PF9901 | 17/326-2 | 請取申米之事(米59俵、横川御門番・定番、堂峯定番への亥年暮の切米請取状)*17/326-1の写 | 寛文11年12月 | 横川門番平右衛門・九兵衛・横川定番清水佐次右衛門ほか6名 | 吉増三郎右衛門・成田十右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
25 | PF9901 | 67/800 | 覚書 五冊之内 弐(鉄炮証文など写) | 延宝7年~享保9年 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
26 | PF9901 | 24/407 | 指上申一札之事(伜女房をもらい願、関所番人女房無手形通行願)*写、奥書有 | 元禄10年正月3日 | 黛勘太夫・広瀬太夫 | 山口治部衛門・小野屋三郎兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
27 | PF9901 | 25/438-1 | 〔定書〕(髪切女改め) | 元禄10年9月7日 | 丹波・河内・玄蕃 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
28 | PF9901 | 25/438-2 | 関所手形可書載覚(乗物・禅尼・比丘尼・髪切・小女・乱心・手負・囚人・首・死骸)*大戸関所にも同文有(PF0306 50/437) | 元禄10年9月7日 | 長門守・主計頭・丹波守・玄蕃頭 | 碓氷関所人改中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
29 | PF9901 | 25/438-3 | 関所手形可書載覚(乗物・禅尼・比丘尼・髪切・小女・乱心・手負・囚人・首・死骸)*大戸関所にも同文有(PF0306 50/437) | 元禄10年9月7日 | 長門守・主計頭・丹波守・玄蕃頭 | 碓氷関所人改中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
30 | PF9901 | 2/10 | 阿部対馬守様御国替(阿部対馬守・板倉甲斐守、正徳元年戸田山城守、同2年鳥居丹波守の国替え) | 元禄10年 | 1枚 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
31 | PF9901 | 6/95 | 証文之事(金1分借用、畑を担保) | 元禄11年12月2日 | 坂本地主庄七・証人1人 | 長塩仁兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
32 | PF9901 | 6/96 | 質地手形之事(中畑3畝15歩、金1両2分借用)*奥書有 | 元禄13年12月24日 | 横川村名主庄右衛門 | 長塩折右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
33 | PF9901 | 2/16 | 浅野内匠頭家来口上(吉良邸討入りの口上書)*写 | 元禄15年12月 | 筆頭大石内蔵介ほか46人 | 上 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
34 | PF9901 | 130/1134 | 借用金子之事(金2分、未2月より10月まで、利足12両1分) | 元禄16年2月21日 | 借主坂本上町伝十郎 | 横川番所長仁兵衛 | 竪1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
35 | PF9901 | 25/439-1 | 〔書付〕(板倉甲斐の所替の節、鉄砲は老中裏印、女手形は水野隼人正より横川関所まできて、五料へは書替証文を出すのが通例) | (元禄16年) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
36 | PF9901 | 25/437 | 御関所下座御用掛之御方々様御通帳 | (元禄~享保) | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
37 | PF9901 | 13/219 | 〔書付〕(碓氷関所定附広瀬吉太夫が安中郡奉行役所へ呼出の節は須藤与太夫、加番黛嘉藤次が召捕えられた節は後閑織右衛門らが加番) | 宝永元年11月朔日 | 1枚 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
38 | PF9901 | 17/327 | 奉願候覚(碓氷関所定附の切米横川米は迷惑至極につき安中御蔵渡し) | 宝永5年2月 | 黛勘太夫・広瀬吉太夫ほか5名 | 佐久間茂左衛門・小塚彦七 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
39 | PF9901 | 62/761 | 諸色留覚帳(碓氷関所関係など、~正徳6年7月) | 宝永7年4月21日 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
40 | PF9901 | 25/440-1 | 〔書付〕(松平越中守へ御関所乱心・手負・囚人・死骸を相通すに際して入手負は家老証文で通す件) | (正徳元年7月) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
41 | PF9901 | 52/627 | 覚(関所後の要害山見分の際、峯道を報告せず不調法につき)*写 | 正徳元年9月7日 | 横川村原村名主文右衛門ほか組頭5名・百姓惣代2名 | 小塚彦七・大見三右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
42 | PF9901 | 52/628 | 覚(関所後の要害山見分の際、峯道を報告せず不調法につき)*写 | 正徳元年9月7日 | 横川村原村名主文右衛門ほか組頭5名・百姓惣代2名 | 小塚彦七・大見三右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
43 | PF9901 | 52/629 | 差上申一札之事(碓氷関所後の要害山北のひら・鬼沢通・わかつきより荻之久保まで畑入会、もし不審の者あれば御囲へ入れず追払い、関所へ注進)*裏面のみ | 正徳元年10月18日 | 五料村名主金左衛門・五右衛門ほか組頭7名・百姓惣代2名 | 小塚彦七・大見三右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
44 | PF9901 | 52/630 | 差上申一札之事(碓氷関所後の要害山北のひら・鬼沢通・わかつきより荻之久保まで畑入会、もし不審の者あれば囲へ入れず追払い、関所へ注進) | 正徳元年10月18日 | 五料村名主金左衛門・五右衛門ほか組頭7名・百姓惣代2名 | 小塚彦七・大見三右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
45 | PF9901 | 11/168 | 朝鮮信使来聘書付 | 正徳元年 | 横半1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
46 | PF9901 | 68/803 | 録冊 壱ノニ(関所関係書状写、判鑑引き合わせ添書、松平大和守姫路へ国替えなど、享保13年公方日光社参) | (正徳元年~延享4年) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
47 | PF9901 | 5/68 | 不背身(政治上の要諦を説き、天下当家の安泰の方法を計る諫言) | 正徳2年10月9日 | 御墨印 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
48 | PF9901 | 17/328 | 請取申御切米之事(横川関所定番人らの辰暮切米)*裏書有 | 正徳2年12月11日 | 清水仁太夫ほか8名 | 星野助左衛門・須永源兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
49 | PF9901 | 67/801-3 | 覚書 五冊之内 五(諸大名よりの関所判鑑引き合わせの添書など写) | (正徳2年~延享4年) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
50 | PF9901 | 52/631 | 指上申証文之事(土塩村の者、薪取りの節、人馬とも関所裏を抜け通り坂本町へ出た一件内済につき) | 正徳3年4月9日 | 土塩村名主杢右衛門・組頭伊兵衛ほか4名 | 広瀬・黛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
51 | PF9901 | 24/408 | 〔達〕(尾張中納言尊骸が名古屋へ出発し、手形なしで関所を通る旨) | 正徳3年8月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
52 | PF9901 | 69/808 | 新覚記(安中城主御代記、関所火災関係) | (正徳5年・享保10年) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
53 | PF9901 | 5/45-1 | 〔達ヵ〕(弾左衛門支配下の諸職業由来) | 享保元年10月 | 上 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
54 | PF9901 | 5/45-2 | 〔達ヵ〕(弾左衛門支配下の諸職業由来) | 享保元年10月 | 上 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
55 | PF9901 | 5/45-3 | 〔達ヵ〕(弾左衛門支配下の諸職業由来) | (享保元年10月) | 上 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
56 | PF9901 | 1/2 | 掟・髪結職由来(掟(穢多非人乞食の剃髪禁止)など、髪結職由来(文永から享保)) | 享保2年3月 | 大岡越前守・牧野筑後守 | 江戸町年寄年行事・月行事ほか | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
57 | PF9901 | 52/632 | 〔書付〕(山廻りし、宮ノ上で番頭両人、家来が水ぶさの生木を伐った件、林廻・薪伐など) | 享保6年6月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
58 | PF9901 | 54/678 | 当丑正月六日暁深川万年町医師中嶋隆碩夫婦ヲ切殺し致欠落候下人直助人相書 | 丑(享保6年)6月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
59 | PF9901 | 62/762 | 享保6年丑正月より始後閑兵蔵一身之覚書(関所役人の行動覚書) | 享保6年~延享4年 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
60 | PF9901 | 185/763 | 〔関所雑記録〕(関所役人年始・交替・林見廻・吟味・火の用心など) | 享保11年正月元日~3月9日迄 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
61 | PF9901 | 62/764 | 御関所御用承覚書(~延享5年5月) | 享保11年 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
62 | PF9901 | 68/804 | 録冊 壱ノ三(内藤丹州様御代御領内惣百姓願書写) | 享保12年4月 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
63 | PF9901 | 183/441-1 | 〔書付〕(吉宗公日光社参ニ付御関所御勤番之次第) | 享保13年4月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
64 | PF9901 | 183/441-2 | 御社参之節取計(碓氷関所内での準備など) | (享保13年4月カ) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
65 | PF9901 | 17/329 | 覚(横川関所定番人らの酉春切米請取状) | 享保14年2月10日 | 後閑兵蔵ほか6名 | 伊藤佐五郎 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
66 | PF9901 | 4/36 | 雑賀六郎右衛門願書写(御評定所目安箱へ入候書付之写など) | 享保14年11月2日 | 北八丁堀日比谷町大屋武右衛門店雑賀六郎右衛門 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
67 | PF9901 | 182/220 | 覚(番頭両人逼塞を命ぜられ、物頭福田平左衛門が番頭となって関所に詰める) | 享保15年7月5日より10日 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
68 | PF9901 | 26/442 | 御関所下座帳*安中表江指上候扣 | 享保15年7月改 | 1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
69 | PF9901 | 26/443-1 | 御関所無下座帳(外に関所役人の「親類縁者覚書」「無拠知人覚」(以上1冊)、安永9年「御両敬様方御名前覚帳」と合冊) *安中表江差上候控 | 享保15年7月 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
70 | PF9901 | 182/410-3 | 〔関所覚書〕(前橋藩酒井家姫路へ国替え・松平喜八郎前橋へ国替えにつき関所通行の記事など) | 享保16年~寛延2年 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
71 | PF9901 | 67/801-2 | 覚書 五冊之内 四(内藤山城守様御代之書、関所通行条々) | (享保17年カ) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
72 | PF9901 | 1/3-1 | 御公儀より、被仰出候御書付写(時疫流行の節は、この薬を用いて煩をのがるべし) | 享保18年12月 | 望月三英・丹羽正伯 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
73 | PF9901 | 1/3-2 | 御公儀より、被仰出候御書付写(時疫流行の節は、この薬を用いて煩をのがるべし)*鼠損 | 享保18年12月 | 望月三英・丹羽正伯 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
74 | PF9901 | 1/3-3 | 安中表より相廻り候御能書之写(時疫流行の節は、この薬を用いて煩をのがるべし) | 享保18年12月 | 望月三英・丹羽正伯 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
75 | PF9901 | 17/308 | 奉願上覚(中症により隠居願)*写 | 卯(享保20年)6月 | 広瀬吉太夫 | 黛庄太夫ほか5名 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
76 | PF9901 | 170/1500 | 御請状之事(権助と申す童、給金1分、10年季奉公) | 享保20年8月 | 人主・請人 | 碓氷関所後閑兵蔵 | 竪1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
77 | PF9901 | 179/1636 | 奉願上候覚(上州山之湯への湯治願)*写 | 辰(元文元年)5月26日 | 後藤与太夫 | 後閑兵蔵ほか3名 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
78 | PF9901 | 26/444 | 覚(関所書替証文は五料・狩宿関所・堂峯番所など碓氷関所で出す、房川渡中田関所は本多中務大輔の時初めて書替証文を出し、内通御証文は松平大和守の所替の時、初めて仰付けられる) | 寛保2年2月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
79 | PF9901 | 29/519 | 覚(鉄砲219挺、越後国高田より奥州白川差し遣わしにつき関所通行願)*裏書有 | 寛保2年3月9日 | 松平越中守 | 松平左近将監・松平伊豆守 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
80 | PF9901 | 1/1-1 | 御定書百ヶ条 上*挿入文書有 | (寛保2年3月27日) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
81 | PF9901 | 1/1-2 | 御定書百ヶ条 下 | 寛保2年3月27日 | 寺社奉行牧野越中守・大岡越前守ほか5名 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
82 | PF9901 | 24/381 | 〔書付〕(山村甚兵衛父子参府の時、関所役人あてに下される金品)*前欠 | 寛保2年9月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
83 | PF9901 | 54/677 | 〔人相書〕(徳川何某丹波国桑田郡徘徊につき) | 延享元年4月 | 大目付 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
84 | PF9901 | 17/320 | 奉願覚(碓氷関所定附同心丈右衛門が病死につき伜恒右衛門に跡役相続、私共4人が勤番中見習わせる旨) | 延享元年9月 | 碓氷関所定附後閑兵蔵ほか3名 | 川崎文右衛門ほか2名 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
85 | PF9901 | 17/330 | 御切米御扶持方請取覚帳 | 延享2年正月 | 清水仁太夫・後閑兵蔵・渋谷平右衛門・佐藤武兵衛・須藤与太夫 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
86 | PF9901 | 73/838 | 覚(金銀貸借関係の紛争に関する触書) | 寅(延享3年)3月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
87 | PF9901 | 24/382 | 〔書付〕(碓氷関所番人へ山村甚兵衛より下賜の金品) | 延享3年7月5日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
88 | PF9901 | 184/614-3 | 一札之事(関所通行手形、僧1人・家来1人、越後高田高安寺へ罷り通るにつき)*裏書有 | 延享3年8月8日 | 江戸赤坂盛徳寺 | 横川関所番衆中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
89 | PF9901 | 29/520 | 〔関所通行手形〕(女通手形関係) | 延享4年2月29日 | 播磨・近江・兵部 | 越中 碓氷 人改中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
90 | PF9901 | 179/1637 | 〔伺書〕(松平讃岐守家来2名、無手形にて上州草津へ湯治の関所通行の是非) | 延享4年5月28日 | 当番清水仁大夫・後閑兵蔵・佐藤武兵衛 | 上 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
91 | PF9901 | 26/445 | 〔書付〕(関所制札の箇条、その運用方法など) | 延享4年5月 | 1枚 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
92 | PF9901 | 2/9-1 | 松平大和守様御所替一紙証文来家老中内通手形ニ而通ニ被仰付 | (延享4年カ) | 上 | 1枚 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
93 | PF9901 | 2/9-2 | 〔書付〕(大名転封) | (延享4年カ) | 1枚 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
94 | PF9901 | 26/446-1 | 〔達〕(五十宮様供女中、福島関所で乗物の中は改めるに及ばず、証文本紙は福島関所へ留め置く件)*写 | 巳(寛延2年)3月12日 | 山村甚兵衛 | 碓氷関所 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
95 | PF9901 | 47/601-35 | 〔関所通行手形〕(五十宮御方関東下向御供女中・下女18人うち小女1人・乗り物18挺、福島関所通過の通知) | 巳(寛延2年)3月12日 | 山村甚兵衛 | 碓氷関所 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
96 | PF9901 | 26/448 | 〔書付〕(五十宮通行の節、碓氷関所における盛砂など馳走の次第、番頭以下の衣服平服、堂峯番所・加番など箇条書) | 寛延2年3月15日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
97 | PF9901 | 26/446-2 | 〔達〕(五十宮下向につき御供女中碓氷関所改め女数のみの件)*写 | 巳(寛延2年カ)3月 | 土屋兵部少輔 | 内藤金一郎 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
98 | PF9901 | 26/447 | 〔達〕(五十宮下向につき御供女中碓氷関所改め女数のみの件)*写 | 巳(寛延2年カ)3月 | 土屋兵部少輔 | 内藤金一郎 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
99 | PF9901 | 52/633 | 奉願上覚(正徳元年要害山の出入にて峯道をふさぎ、他村より入らぬ所に関する証文を、所替につき、預け置き下されるよう) | 寛延2年3月 | 仲間5人(横川関所同心ヵ) | 繁右衛門・伊兵衛・源五郎 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
100 | PF9901 | 29/522 | 〔関所通行手形〕(女囚人など、信州松本より江戸まで、碓氷関所通行) | 寛延2年4月2日 | 松平丹波守 | 碓氷関所 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
101 | PF9901 | 25/424 | 〔書付〕(松平隠岐守の飛脚、無手形にて通行の旨を申し出、碓氷関所番頭は通行不可) | 寛延2年4月9日 | 番頭兵藤九左衛門 | 須藤与太夫・渋谷平右衛門・後閑兵蔵 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
102 | PF9901 | 29/521-1 | 〔関所通行手形〕(播磨国姫路より上野国前橋に所替につき武具など碓氷関所通行につき)*写 | 寛延2年4月 | 松平喜八郎(朝矩) | 堀田相模守・本多伯耆守・松平右近将監 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
103 | PF9901 | 72/821-1 | 堂峯勤番之控(碓氷関所番人の堂峯加番) | 寛延2年4月 | 横半1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
104 | PF9901 | 24/409 | 〔書付〕(喜八郎様所替の際、碓氷関所を女上下2513人通行) | 寛延2年5月12日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
105 | PF9901 | 26/450 | 御関所引渡覚(内藤金一郎、番頭・平番より板倉佐渡守番頭・平番へ引渡す) | 寛延2年5月22日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
106 | PF9901 | 185/1696 | 板倉佐渡守殿安中江御所替御関所請取渡并諸事控 | 寛延2年5月23日 | 後閑信脩(花押) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
107 | PF9901 | 47/601-36 | 〔関所通行手形〕(五十宮御方関東下向御供女中・下女13人・乗り物5挺、福島関所通過の通知) | 巳(寛延2年)6月16日 | 山村甚兵衛 | 碓氷関所 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
108 | PF9901 | 73/839 | 覚(下金8両請取、居屋敷普請)*写 | 寛延2年8月 | 広瀬吉太夫 | 猪狩磯右衛門・田村文内 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
109 | PF9901 | 52/615 | 〔鉄砲通行裏印願〕(姫路より前橋に所替、陸地を差越す武具あり、鉄砲374挺は相違なく碓氷関所を通すよう裏印されたい)*写 | 寛延2年4月 | 松平喜八郎 | 堀田相模守ほか2名 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
110 | PF9901 | 26/449 | 〔書付〕(稲葉美濃守よりお尋ねにつき、関所同心らが安中へ出頭) | 寛延2年 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
111 | PF9901 | 52/617 | 覚(鉄砲通行証ヵ、鉄砲374挺・玉目34箇・長持3棹)*№615と関連ヵ | (寛延2年カ) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
112 | PF9901 | 69/806 | 録冊 三(関所通行に関する文書写・目録、酒井雅楽頭・松平喜八郎家来引越) | (寛文8年~寛延2年) | 1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
113 | PF9901 | 62/765 | 御関所故事大全(関所役人、判鑑、要害山、鉄砲、掟書、同心稽古、関所通行、堂峯番所など) | 寛延3年正月~4年2月 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
114 | PF9901 | 29/521-2 | 〔書付〕(女2人うち髪切1人江戸より信州善光寺まで碓氷関所通行、氷川大乗院触下大鏡院伯母・下女)*写 | 寛延3年2月30日 | 兵部・越中・若狭 | 上 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
115 | PF9901 | 54/683 | 御関所御普請方古法帳(堂峯御番所等も含む) | 寛延3年4月~宝暦4年4月 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
116 | PF9901 | 179/1662-1 | 覚(宗門人別、後閑兵蔵・佐藤音右衛門) | 寛延3年5月 | 横川村龍洞寺・新堀村補陀寺 | 板倉佐渡守内松原清左衛門・山本式右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
117 | PF9901 | 179/1662-2 | 覚(宗門人別、後閑兵蔵・須藤与太夫) | 寛延3年5月 | 横川村龍洞寺 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
118 | PF9901 | 185/1695-2 | 〔由諸書〕(井伊家家来、長塩・嶋野・佐藤・渋谷など関所同心) | 寛延3年8月24日 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
119 | PF9901 | 185/1695-1 | 〔由諸書〕(井伊家家来、長塩・嶋野・佐藤・渋谷など関所同心) | 寛延3年8月 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
120 | PF9901 | 4/37 | 今てハ両側対諸役不法之賄取込条々(政道批判) | 寛延3年9月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
121 | PF9901 | 182/410-2 | 板倉佐渡守様御代(知久帯刀御家来、信州伊那郡小野川村百姓40人縄手鎖にて関所通行一件) | 寛延3年12月16日~ | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
122 | PF9901 | 24/411 | 信濃国より江戸表江囚人相通候覚書 | 寛延3年12月 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
123 | PF9901 | 72/819 | 〔碓氷関所諸雑記〕 | 寛延3年 | 後閑小伝治 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
124 | PF9901 | 17/314 | 覚(碓氷関所定附広瀬吉太夫伜郷助、20歳につき奉公願)*17/319-1~-3と同じ | (寛延4年)閏6月 | 広瀬吉太夫 | 海新五左衛門(海保新五右衛門)・小金兵衛(小林金兵衛) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
125 | PF9901 | 17/319-1 | 覚(碓氷関所定附広瀬吉太夫伜郷助、20歳につき奉公願)*17/314と同じ | (寛延4年)閏6月 | 広瀬吉太夫 | 海新五左衛門(海保新五右衛門)・小金兵衛(小林金兵衛) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
126 | PF9901 | 17/319-2 | 覚(碓氷関所定附広瀬吉太夫伜郷助、20歳につき奉公願)*17/314と同じ | (寛延4年)閏6月 | 広瀬吉太夫 | 海新五左衛門(海保新五右衛門)・小金兵衛(小林金兵衛) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
127 | PF9901 | 17/319-3 | 覚(碓氷関所定附広瀬吉太夫伜郷助、20歳につき奉公願)*17/314と同じ | (寛延4年)閏6月 | 広瀬吉太夫 | 海新五左衛門(海保新五右衛門)・小金兵衛(小林金兵衛) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
128 | PF9901 | 12/172 | 〔書付〕(小山沢入口往還より土塩村弥十坂までの間数・町積・里積) | 宝暦2年4月25日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
129 | PF9901 | 26/451 | 〔申渡〕(横川関所同心の関所通行者に対する吟味方につき) | 宝暦2年8月18日 | 海保新五左衛門・小林金兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
130 | PF9901 | 182/410-1 | 板倉佐渡守様御代御関所覚書(前橋藩松平家国替えにつき関所通行の記事など) | 寛延2年~明和2年 | 後閑織右衛門貞久 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
131 | PF9901 | 183/452 | 御関所ニ而浪人岡田徳左衛門・坂本宿馬方共四人吟味之一件 | (宝暦3年3月) | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
132 | PF9901 | 24/412 | 松平備後守様御家来早打青山主鈴口上(松平加賀守様死去につき備後守急用事申し付け、内証の用向もあるので手形持参のうえ関所を通行) | 宝暦3年4月14日 | 平番石塚勇八、同心清水仁太夫 | 番頭小林金兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
133 | PF9901 | 24/413 | 板倉佐渡守様御代加州様御通行之覚書(藩主遺骸関所通行の触書など) | 宝暦3年4月より4年3月まで | 1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
134 | PF9901 | 5/73-1 | 重追放御構場所(武蔵・相模・上野ほか15ヶ所) | 宝暦3年7月2日 | 岡田徳左衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
135 | PF9901 | 5/73-2 | 重追放御構場所(武蔵・相模・上野ほか15ヶ所) | 宝暦3年7月2日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
136 | PF9901 | 6/97 | 相渡申質地手形之事(原分下原の畑11塚、代金11両、利足割り直し) | 宝暦3年7月 | 畑主渋谷丹七・証人清水仁太夫 | 津右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
137 | PF9901 | 6/98 | 覚(原村分11塚畑、代金11両にて質流れにする)*奥書有 | 宝暦3年7月 | 津右衛門 | 渋谷丹七 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
138 | PF9901 | 24/383-3 | 〔書付〕(加賀藩主前田重教江戸より国元へ通行の際の下賜品) | 宝暦3年8月21日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
139 | PF9901 | 52/616 | 〔達〕(松平加賀守参府時の持筒五挺相違なく通すことの通達ほか) | 宝暦3酉年8月 | 隠岐・右近・伯耆・左衛門・相模 | 碓氷番中 | 折1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
140 | PF9901 | 24/383-2 | 〔書付〕(加賀藩主前田重教参府にて関所通行の際の下賜品) | 酉(宝暦3年)9月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
141 | PF9901 | 24/414-1 | 〔書付〕(歩行の女10人乗物の女13人うち小女1人通行、加賀松平健次郎様御袋様髪切) | 宝暦4年3月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
142 | PF9901 | 54/684 | 〔書付〕(堂峯番所へ普請人足差出一件) | 宝暦4年4月4日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
143 | PF9901 | 29/524-3 | 〔関所通行手形〕(女6人、信州松本より江戸まで碓氷関所通行) | 宝暦4年5月25日 | 松平丹波守 | 碓氷関所人改中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
144 | PF9901 | 7/133-1 | 覚(川久保落橋の仕来り)*下書 | 宝暦4年6月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
145 | PF9901 | 7/133-2 | 覚(川久保落橋の仕来り) | 宝暦4年6月 | 渋谷丹七ほか4名 | 海保新五左衛門・小林金兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
146 | PF9901 | 7/134 | 覚(川久保満水の節、宿継縄繰越しの件)*裏書有 | 戌(宝暦4年)6月 | 渋谷丹七ほか4名 | 海保新五左衛門・小林金兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
147 | PF9901 | 29/524-2 | 〔関所通行手形〕(鷲尾中納言息女京都より江戸竹姫上臈萩原殿方へ) | 宝暦4年7月9日 | 上臈萩原殿上臈衆 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
148 | PF9901 | 52/618 | 安中他領共ニ町人百姓判鑑 | 宝暦4年8月中旬 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
149 | PF9901 | 26/454 | 口上ニ而申上内意覚(横川村祭礼のため原・坂本の親類共の妻子が罷越したく、内証の通行願) | 宝暦4年9月11日 | 仁太夫・織右衛門 | 番頭海保新五左衛門・小林金兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
150 | PF9901 | 26/453 | 〔申渡〕(尾州家同心17人が無手形の節、海保新五左衛門より横川関所役人へ上下3人以上は苦しからず) | 宝暦4年9月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
151 | PF9901 | 17/321 | 〔聟養子願〕(信州佐久郡茂田井村医師三浦養仙伜嘉藤治)*写 | 宝暦4年10月 | 黛勘太夫 | 海保新五左衛門・小林金兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
152 | PF9901 | 29/524-1 | 指上ヶ申一札之事(4人、信州小諸へ、関所通行手形)*裏書有 | 宝暦4年12月13日 | 松井田宇右衛門 | 碓氷関所奉行 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
153 | PF9901 | 24/383-1 | 〔書付〕(加賀藩主前田重教参府にて関所通行の際の下賜品) | (宝暦4年カ) | 折1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
154 | PF9901 | 24/414-2 | 〔書付〕(女通行一件) | (宝暦4年カ) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
155 | PF9901 | 62/767 | 御用其外寄合物覚 | 宝暦5年正月2日 | 横半1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
156 | PF9901 | 170/1501 | 御請状之事(文六、給金1両1分、亥2月~子2月迄の奉公) | 宝暦5年2月2日 | 信州伊勢山村人主与兵衛・上州横川原村請人平四郎 | 碓氷関所後閑織右衛門 | 竪1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
157 | PF9901 | 26/455 | 〔書付〕(戸隠権現・九頭竜権現が江戸表で開帳につき通行、辯山超学ら僧2人が武州羽生富徳寺を経て、信州善光寺参詣に通行)*裏映りひどく判読不能 | 宝暦5年3月3日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
158 | PF9901 | 52/634 | 〔書付〕(関所近所の囲山百姓持と御山境の検分、がけの下・足灘の笹藪畑など) | 宝暦5年3月15日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
159 | PF9901 | 29/523 | 〔関所通行手形ヵ〕(奥山三阿弥など通行)*裏書有 | 宝暦5年3月28日 | (後閑)織右衛門・庄内 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
160 | PF9901 | 5/81-1 | 〔名寄帳〕(六三郎分) | 宝暦5年4月 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
161 | PF9901 | 5/81-2 | 〔名寄帳〕(長太郎分) | 宝暦5年4月 | 竪1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
162 | PF9901 | 1/4 | 御触書写(灰吹銀・潰銀など銀座以外での売買停止、銀櫛算など無益の銀道具造作禁止) | (宝暦5年カ)5月28日 | 目付 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
163 | PF9901 | 58/747 | 〔物品目録ヵ〕(横川関所分けの道具、鍋・まな板・手桶など)*№747・748は関連 | 宝暦5年6月26日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
164 | PF9901 | 58/748 | 覚(鍋・まな板・手桶ほか数量)*№747・748は関連 | (宝暦5年6月26日カ) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
165 | PF9901 | 179/1638 | 〔書状〕(女1人で草津湯治し、帰府する旨) | 亥(宝暦5年)7月8日 | 江戸守山町みはりや左七 | うすい関所 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
166 | PF9901 | 26/456 | 板倉佐渡守様御代前格例無之ニ付御老中様方江御伺之上被仰出候趣之扣(坂本宿旅籠屋平角下女の御関所通行時の取計らい方、箱根関所改方など) | 宝暦5年8月~ | 神田雉子町 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
167 | PF9901 | 62/766-1 | 〔書付〕(坂本宿旅籠屋下女関所通行一件) | (宝暦5年8月) | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
168 | PF9901 | 62/766-2 | 坂本宿旅籠屋平角下女もと御吟味有之御勘定奉行曲渕豊後守殿江御呼出ニ付右女碓氷御関所通し方安中より差図ニ付古例を以相窺候一件 | (宝暦5年8月) | 後閑信脩 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
169 | PF9901 | 24/384 | 〔書付〕(菊亭中将との縁談、京都より下向につき松平左京太夫より横川関所番人への下賜金目録) | 宝暦5年9月26日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
170 | PF9901 | 179/1639-1 | 〔願書〕(後閑織右衛門持病疝気につき上州山之湯への湯治願) | 丑(宝暦7年カ)4月 | 土屋平学 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
171 | PF9901 | 179/1639-2 | 〔願書〕(持病疝気につき上州山之湯への湯治願) | 丑(宝暦7年カ)4月 | 後閑織右衛門 | 小林金兵衛・近藤安兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
172 | PF9901 | 179/1639-3 | 〔願書〕(持病疝気につき上州山之湯への湯治願) | 丑(宝暦7年カ)4月 | 後閑織右衛門 | 小林金兵衛・近藤安兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
173 | PF9901 | 179/1639-4 | 〔願書〕(持病疝気につき上州山之湯への湯治願) | (宝暦7年カ)4月 | 後閑織右衛門 | 小林金兵衛・近藤安兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
174 | PF9901 | 179/1639-5 | 〔願書〕(持病疝気につき上州山之湯への湯治願)*下書 | 丑(宝暦7年カ)4月 | 後閑織右衛門 | 小林金兵衛・近藤安兵衛 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
175 | PF9901 | 62/768-1 | 板倉佐渡守様御代宝暦七丑年覚書 | 宝暦7年 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
176 | PF9901 | 170/1502 | 御請状之事(下男六助、1年季奉公、給金1両1分) | 宝暦8年2月2日 | 信州佐久郡古宿町人主権三郎・請人又右衛門 | 碓氷関所後閑織右衛門 | 竪1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
177 | PF9901 | 170/1503 | 御請状之事(奉公人請状雛形) | 宝暦8年2月2日 | 人主・請人 | 碓氷関所後閑織右衛門 | 竪1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
178 | PF9901 | 179/1661-1 | 懐札(寺院法度を守るべき旨を記す) | 宝暦8年7月22日 | 江府役所宗旨天台触頭閑林坊 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
179 | PF9901 | 179/1661-2 | 懐札(寺院法度を守るべき旨を記す) | (宝暦8年7月22日カ) | 江府役所宗旨天台触頭閑林坊 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
180 | PF9901 | 179/1661-3 | 御関所証文(公儀法度・他境の分国の定法に背かぬよう、国々関所改めを請け罷り通るべく) | 宝暦8年7月22日 | 組役弁了支配 | 智学 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
181 | PF9901 | 52/635 | 〔書付〕(堂峯番所の分地の杉検分を差留一件) | 宝暦8年9月5日 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
182 | PF9901 | 12/177 | 宝暦八年寅十二月廿五日金森兵部少輔江申渡覚(郡上一揆の顛末、金森氏の処罰) | 宝暦8年12月 | 横長1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
183 | PF9901 | 179/1640 | 〔書状〕(他領の者の坂本入之湯湯治願への取扱)*奥書有 | (宝暦9年)3月21日 | 後閑織右衛門・清水勘左衛門・渋谷丹七 | 坂本宿問屋中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
184 | PF9901 | 179/1641-1 | 口上書(坂本宿入湯へ他領の者湯治に関する尋問の返答、女は安中奉行所裏判・男は村々名主手形にて) | 宝暦9年3月 | 坂本村名主甚左衛門・三郎左衛門 | 清水仁太夫・後閑織右衛門ほか2名 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
185 | PF9901 | 179/1641-2 | 口上書(坂本宿入湯へ他領の者湯治に関する尋問の返答、女は安中奉行所裏判・男は村々名主手形にて)*奥書有 | 宝暦9年3月 | 坂本村名主甚左衛門・三郎左衛門 | 清水仁太夫・後閑織右衛門ほか2名 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
186 | PF9901 | 179/1642 | 口上書(坂本宿入湯へ他領の者湯治に関する尋問の返答、女は安中奉行所裏判・男は村々名主手形にて) | 宝暦9年3月 | 坂本村名主甚左衛門・三郎左衛門 | 清水仁太夫・後閑織右衛門ほか2名 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
187 | PF9901 | 29/525-1 | 〔関所通行手形〕(石見国浜田へ所替につき家来母・妻・祖母など442人、碓氷関所通行)*写 | 宝暦9年4月29日 | 本多中務大輔 | 大久保対馬守・市川出雲守・石川土佐守・伊丹兵庫頭 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
188 | PF9901 | 29/525-2 | 覚(本多中務大輔所替につき下総国古河より石見国浜田まで家来の妻子など碓氷関所通行) | 宝暦9年4月29日 | 対馬・兵庫・土佐・出雲 | 碓氷 人改中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
189 | PF9901 | 26/457 | 御断状写(紀伊殿妹が江戸より木曽路を通って上京する際は、関所において輿の内を改めるに及ばず、供の女は定式どおり改める) | 卯(宝暦9年)5月19日 | 大久保対馬守 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
190 | PF9901 | 52/636 | 〔請書〕(碓氷関所要害にて、山通・入之湯湯治、秣苅・萱苅・木こりなど山通り一件) | 宝暦9年6月 | 坂本宿問屋甚左衛門ほか9名 | 碓氷関所番頭衆中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
191 | PF9901 | 179/1643 | 乍恐以口上書御願申上候(坂本入之湯への他村のものたりとも作場道山通りへ入り申まじき・湯治人他村へ行き抜き致させ申まじき件削除願) | 宝暦9年6月 | 坂本宿問屋甚左衛門ほか9名 | 碓氷御番所衆中 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
192 | PF9901 | 26/458 | 〔御断状ヵ〕(愛君、京都より木曽路通行の節は関所で輿の内を改むるに及ばず) | 卯(宝暦9年)7月10日 | 石河土佐守 | 碓氷関所 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
193 | PF9901 | 184/619-1 | 判鑑帳 | 宝暦9年8月相改 | 後閑織右衛門・渋谷丹七 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
194 | PF9901 | 184/619-2 | 判鑑帳 | 宝暦9年8月相改 | 後閑織右衛門・渋谷丹七 | 横長1冊 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
195 | PF9901 | 24/394 | 〔書付〕(本多中務大輔、石見浜田へ所替の節、関所番人への下賜金目録) | (宝暦9年カ) | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
196 | PF9901 | 179/1657 | 定(三河尾張遠江三ヶ国中の安家末派の年始万歳に関する規定)*写 | 宝暦10年正月朔日 | 安家江戸役所 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
197 | PF9901 | 24/415 | 〔書状〕(山村甚兵衛・外記は同一人物) | (宝暦10年カ)3月9日 | 三郎左衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | ||
198 | PF9901 | 24/416 | 乍恐以口上書申上候御事(巡見使通行の次第を尋問につき回答) | 宝暦10年6月 | 坂本宿金井三郎左衛門 | 後閑織右衛門 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
199 | PF9901 | 17/331 | 〔書付〕(関所番頭中より提出の9月大扶持米の代金渡) | 宝暦10年9月 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |||
200 | PF9901 | 6/126 | 御証文写(土御門三位使者が名越の御秡を差上るため江戸へ下る際の人足触) | 宝暦11年6月 | 河内 | 京都より江戸迄の宿々、船川渡の年寄・肝煎 | 1通 | 碓氷郡松井田町 後閑周之介家文書 | |
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