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利用選択 | 請求番号 | 文書番号等 | 表題 | 年代 | 差出 | 宛 | 形態・数量 | 文書群名 | |
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1401 | PF9804 | 51/345-6 | 〔書簡〕(銚子・波崎地域の絵入り手紙9コマ、父清蔵と毎朝シジミ取りに行く利根川岸で対岸が銚子、利根川満水時の風景、舟で投げ網漁を見てその魚を食す、遠浅の海水浴場、利根川風景、借家から往復3里ある所の燈台で99段あり両親ものぼった、村の鎮守様、波崎の通りでまっすぐ進むと鹿小島へ行く道の風景、借家の風景、銚子行きの渡船場風景) | (明治40年9月18日) | (宥基) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1402 | PF9804 | 51/345-7 | 〔書簡〕(両親及び小生無事に候間、御安心下されたく候、小生近頃大いに肉付き実にうれしく、これも皆々様御厚情と感謝致し居り候、次に誠に恐れ入り候えどもハモニカ御都合により御送貸に預かりたく候、つまらぬ絵だかなんだかをかきましたから御笑覧下されたく候) | (明治40年9月)18日 | 宥基 | 御両兄・御姉上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1403 | PF9804 | 51/345-8 | 〔書簡〕(毎度御面倒ながら着物送り下されたく、父上の普段袷1枚・普段のへこ帯、宥基の袷1枚、私の糸入りガス着縞 単物、為二のを直し候太織り縞 単物、せゝふ茶縞羽織、御召し袷1枚、御納戸長地半、他) | (明治40年)9月18日 | 吉田母より | 吉田隆太郎殿・為二殿・寿美子殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1404 | PF9804 | 109/561-21 | 〔書簡〕(県会議員当選礼状)*版 | 明治40年9月27日 | 桐生町 今泉健次郎 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1405 | PF9804 | 51/344-15-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | (明治)40年9月29日 | (茨城県鹿島郡東下村波崎 吉田清蔵) | 群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田隆太郎殿、同 為二殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1406 | PF9804 | 51/344-15-2 | 〔書簡〕(扨その他方、家内一同・子供共機嫌よき、此の上なく悦び居り申し候、当方相変わらず、質店の儀につき、他) | (明治)40年9月29日 | 父母より | 吉田両人へ | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1407 | PF9804 | 51/344-15-3 | 〔書簡〕(秋風身にしむ候、今日は又小遣い御送金下され有り難く御礼申し上げ候、又衣類御送附に預かり有り難く存じ居り候、父母は日増しに元気よく候間、御安心下されたく、小生は相変わらずとびあるき、太りて之れ有り候間、御休神下されたく候、他) | (明治)40年9月29日 | 宥基 | 御両兄・御姉上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1408 | PF9804 | 51/344-15-4 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | (明治)40年9月29日 | 茨城県鹿島郡東下村波崎 吉田清蔵 | (群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田隆太郎殿、同 為二殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1409 | PF9804 | 64/380-5-8 | 〔郵便〕(記 金8円 10月分間代・飯料、金9銭 9月分 炭代、12銭 石油代、〆金8円21銭、受取) | (明治)40年9月30日 | 伊藤 | (吉田様) | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1410 | PF9804 | 64/380-5-9 | 〔郵便〕(記 金3円16銭4厘 12月迄、9銭 炭代、12銭 石油代、〆金3円40銭4厘、金8円 受取、差引金4円58銭6厘、4円59銭6厘の誤りか) | (明治)40年9月30日 | 伊藤 | 吉田様 | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1411 | PF9804 | 51/344-13-2 | 〔書簡〕(銚子・波崎地域の絵入り手紙9コマ、明日は鹿島行きにて、汽船は6時に出で、佐原の町に入る処で土堤を通って行くと香取様へ行けます、鹿島神社の入口、鹿島神社の本殿、大船津の写生画、利根川の渡船風景) | (明治40年)10月5日 | (宥基) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1412 | PF9804 | 51/344-13-3 | 〔書簡〕(柿なぞも沢山に送り下され誠に有り難く御礼申し上げ候、その後志づの父よりは別に何も申し参らず哉、寿美子も心配致し居り候事とお察し申し居り候、扨此の方父上事も相応致し、日増しに心よく、他) | (明治40年)10月5日 | 波崎にて 吉田母より | 吉田隆太郎殿・同 為二殿・寿美子殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1413 | PF9804 | 51/344-13-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | (明治40年)10月6日 | (茨城県鹿島郡東下村波崎 寺田兼重方 吉田清蔵) | 群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田隆太郎殿、同 為次(為二)殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1414 | PF9804 | 51/344-13-4 | 〔書簡〕(添伸、実に何品たりとも十分につき送るに及ばず、他) | (明治40年)10月6日 | 父より | 隆太郎殿・為二殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1415 | PF9804 | 51/344-13-5 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | (明治40年)10月6日 | 茨城県鹿島郡東下村波崎 寺田兼重方 吉田清蔵 | (群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田隆太郎殿、同 為次殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1416 | PF9804 | 128/590-6 | 〔書簡〕(私も無事に暮らしておりますから御心安うお召し下さいませ、紋附と綿入れ寝間着は昨日の朝届きました、眞にありがとうございました、去る18日に学校の運動会がありまして大宮公園へ参りました、実に閑静で良いところでした、この日は一日駆け回って楽しく遊びました、27日は宮崎で東京座に連れていっていただきました、また昨日は学校の記念日でございまして、生徒の活人画やお琴や芝居などはなかなか上手でございました) | (明治)40年10月31日 | 与祢子(神田猿楽町三町目二番地 伊沢方 吉田与祢子) | 御両親様・皆々様(上野国山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1417 | PF9804 | 109/561-22 | 〔書簡〕(今回37・38年事件の功により勲四等旭日小綬章を授け賜う、書中を以て御披露)*版 | 明治40年10月 | 衆議院議員 勲四等 武藤金吉 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1418 | PF9804 | 56/357-1 | 〔書簡〕(先日は、宥基さんよりの鰯50疋届けられ頂戴致し候、御礼申し上げ候、私事も主人と子供3人にて20日頃は桐生へ参りたきと存じ候由、御報知申し上げ候、他) | 明治40年11月7日 | 真寿子(東京本所区緑町 大橋真寿子) | 御両親様(群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1419 | PF9804 | 128/590-3 | 〔書簡〕(紅葉も色づく時候となりましたが、皆々様にはお変わりはございませんか、私は相変わらず無事に勉強いたしておりますから御安心くださいませ、お琴の先生はやさしい方で、なかなかよく教えて下さいます、桐生にある琴を送ってほしい、私も冬休みに帰れると思うと楽しみです、父上様が東京へお出でになる時に足袋とテッカン豆を送って下さい) | (明治)40年11月8日 | 与祢子(東京にて 吉田よ祢子) | 御両親様・皆々様(群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1420 | PF9804 | 57/357-11 | 〔書簡〕(一昨日は、参銀滞在中は種々御優待を蒙り、殊に御土産迄頂戴仕り、誠に有り難く御礼申し上げ候、昨夜6時桐生発にて足利に下車せし処、足利発東武汽車終列車は既に発車せし跡にて、大いに閉に仕り候間、やむを得ず足利停車場前に一泊いたし、本日第一番列車にて御前8時30分発車、帰宅仕り候間、御安神下されたく候、先ずは御礼旁通知) | (明治)40年11月25日 | (東京市本所区緑町)大橋幸三郎 | (群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵様)吉田父上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1421 | PF9804 | 128/590-4 | 〔書簡〕(私は、この間風邪を引きましたが最早治りましたからお安心下さいませ、為二兄様から私に結構な時計下さいまして、何と御礼申し上げてよいやら、此の度宮崎へ行く時に見せて来ます、大そう質が忙しいそうで結構でございます、ちょうど姉様がいらっしゃった時は西宮のお恵比寿様のお祭りだったそうですね、さぞ賑やかでございましたでしょう、琴ですが糸の掛け替えは桐生では出来ませんでしょうか、できなければ恐れ入りますがこちらに送っていただきとうございます、今日お琴の先生があなたは上手になるたちですからひまになったらおさらいなさいとおっしゃいました、他) | (明治)40年11月26日 | 都にて 与祢子(東京神田猿楽町三丁目二 伊沢方 吉田よ祢子) | 御両親様・皆々様(群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1422 | PF9804 | 45/294 | 〔先祖戒名書上〕(前顕記載は過去帳巡につき、月の1日より31日に至る、明治40年12月1日調製す) | 明治40年12月1日 | 吉田清蔵有寛 改め有幸 | 1綴 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1423 | PF9804 | 128/590-5 | 〔書簡〕(お母様には風邪がお治りになってうれしく思います、大橋の兄様や姉様がお出でになってさぞお賑やかでございましたでしょう、私はお琴を毎日精を出して習っています、お琴を直して下さいますそうでまことに有り難うございます、お正月には引きたくございます、それまでに恐れ入りますがどうぞお願い申します、為二兄様からいただいた時計は大事にしております、うれしくって毎日出してはながめております、冬休みが近くなりましてうれしく毎日指折り数えて家へ帰るのを楽しみにしております、今日宮崎へ参りましたら正康さんが39度5分の熱で姉様が心配致しておりました、原因は昨日豆を煮ましたらそれを正康さんが食べ過ぎて昨夜から悪くて、お昼前に7・8度下りましたって言っておりました) | (明治)40年12月1日 | 与祢子(東京神田猿楽町三ノ二 伊沢方 吉田与祢子) | 御母上様(上野国山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1424 | PF9804 | 57/357-12 | 〔書簡〕(先日は参上、種々御手厚き御もてなしに預かり候上、結構の御土産物まで頂戴致し有り難く厚く御礼申し上げ候、主人も大満足に、御姉上様はなかなか御料理上手にて、べっぴんさんだと申し、他) | (明治)40年12月5日 | (本所区緑町)真寿子 | (群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵様)御母上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1425 | PF9804 | 10/102-22 | 記(金15円2銭 但し 印当座貸越金、差引金15円2銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく、金15円2銭 但し印当座借り越し金明治40年9月16日より明治40年12月15日に至る積数に対する利息、当期間の利息払込につき入帳、明治40年12月19日) | 明治40年12月16日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1426 | PF9804 | 57/357-8 | 〔書簡〕(先日は、米子の縁談の義、相談致し候えども未だ年少故、ことわり候義よろしと申し、御母上様よりも同様の御手紙申し立て、先方へ断り申し候、又姉との一条も母上の御上京を待ち、其の上のことと致し候、私の小紋はいつ頃出来上り候や、成る丈急ぎ御願い上げ候、他) | 明治40年12月19日 | 真寿(東京本所区緑町 大橋真寿子) | 御母上様(群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵様、御宇多様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1427 | PF9804 | 53/347-10 | 〔書簡〕(先日為二様縁談御噺につき、先方能く々、他) | (明治)40年(12月) | (東京日本橋区久松町)香梅 | 吉清伯母上様(群馬県上野国桐生 吉田清蔵様方 同若御主人様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1428 | PF9804 | 56/357-6-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | 明治41年1月2日 | (東京本所区緑町 大橋真寿子) | 群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1429 | PF9804 | 56/357-6-2 | 〔書簡〕(新年の御寿幾千代かけて祝いまいらせ候、先々御両親様はじめ御一同様御賑々しく御越年遊ばし、いよいよ栄えさせ給う御目出度さ数々御喜び申し上げ候、他) | 明治41年1月2日 | 大橋真寿子 | 御両親様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1430 | PF9804 | 56/357-6-3 | 〔書簡〕(新玉の年のはじめに御寿幾千代かけて祝いまいらせ候、先々あなた様にも御機嫌よく御越年遊ばし候、此の方にても一同事なく加年いたし候由、御心易く思し召し下されたく候、他) | 明治41年1月2日 | (大橋)真寿子 | 為次様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1431 | PF9804 | 56/357-6-4 | 〔書簡〕(新玉の年のはじめの御寿いく才にも同じ御事に祝いまいらせ候、先々御両親様、御子さま方にも御揃い御賑々しく御越年遊ばし候、御祝い申し上げ候、此の方にても一同無事に加年いたし候由、御心安く思し召し下されたく候、いそ子さんは7歳の御祝い遊ばし候や、さぞさぞ美しく御なりの御事に見まほしく存じ上げ候、他) | 明治41年1月2日 | (大橋)真寿子 | 御寿美様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1432 | PF9804 | 56/357-6-5 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | 明治41年1月2日 | 東京本所区緑町 大橋真寿子 | (群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1433 | PF9804 | 109/559-5 | 〔辞令〕(第二部部頭に選定す) | 明治41年1月4日 | 群馬県警務長 隈元清世 | 桐生消防組 小頭 吉田隆太郎 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1434 | PF9804 | 50/343-59 | 〔書簡〕(産婦並びに小児共至極壮健に候間、御安神下されたく、小児命名の義左の内御選び下されたく、尚御意見も御座候はば、御通知下されたく、御願い申し上げ候、明治41年1月9日午後10時30分出生男子 信義 又は 成義、信は児が祖父の号信斉の信にして、成は児が曾祖父有成の成の字を取りたるものに候) | 明治41年1月11日 | 宮崎律三 | 吉田大人、御家内中様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1435 | PF9804 | 108/526 | 〔結婚披露宴招待状〕(愚息半之助、婚儀整い、来る15日婚姻の式挙行、同日午前6時、拙館に於いて粗酒献呈仕りたく、御光臨成し下し置かれたく、御招待申し上げ) | 明治41年1月11日 | 松島冨三 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1436 | PF9804 | 56/357-7 | 〔書簡〕(先日、米子参り候節は、皆々様よりの御年玉、種々御送り下され有り難く、子供皆々桐生の品はおいしいと申し喜び居り候、お召しは色気も縞物も誠によろしく相応の柄合いにて誠に有り難く、殊に裏もわざわざ新しき品御付け下され、他)*他1通有 | 明治41年1月13日 | 真寿子(東京本所区緑町 大橋真寿子) | 御両親様(上野国桐生町五丁目 吉田清蔵様、宇多子様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1437 | PF9804 | 127/589-21 | 以層 帯解・幌 袴着・て留 髪置 祝配重祝物受納扣(30銭 末広 吉田徳平 10銭いそ・10銭幌、いそへ下駄・幌へ駒下駄 吉田孝平 10銭いそ・10銭 幌、柿 沢山 金子ちか、他) | 明治41年1月15日 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1438 | PF9804 | 128/590-1 | 〔書簡〕(私は無事に勉強いたしておりますから御安心くださいませ、お休みで帰っている間は御馳走をして下さいましてありがとうございました、この間本所の姉様の所へ行き大そう御馳走になりました、お琴の先生の所へ50銭の海苔を持っていきました、他) | (明治)41年1月17日 | 与祢子(東京市神田猿楽町 吉田与祢) | 御両親様・皆々様(群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1439 | PF9804 | 62/377-23 | 〔書簡〕(鉄瓶・銅器卸商 高岡支店は、2月1日より日本橋区小伝馬町1丁目9番地に移転、通油町支店は閉店、同支店担当主任者・田中清五郎が事業を継承し小伝馬町に開店、広告、旧名・改名)*版 | 明治41年1月31日 | 東京市日本橋区小伝馬町 鉄瓶・銅器卸商 高岡支店 田中清五郎(通称清吉)、東京市日本橋区鉄砲町 東京銅鉄物問屋 本店 高岡幸八商店 | 吉田清造殿(上州桐生町 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1440 | PF9804 | 95/480 | 四十一年 年礼受納配り扣(風呂敷1 四十銀行、風呂敷1・巻きたばこ 足利銀行、風呂敷1 原田金三郎、他) | (明治)41年(1月) | (吉田清蔵) | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1441 | PF9804 | 138/612-43-1 | 〔書簡〕(封筒宛名面) | 明治41年2月1日 | (群馬県前橋市新町 野村安二郎) | 山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1442 | PF9804 | 138/612-43-2 | 〔書簡〕(恭賀新年、旧年中は種々御厚情、御引き立て蒙り有り難く御礼申し候、尚本年も松葉屋御引き立ての程、懇願奉り候也) | 明治41年2月1日 | (群馬県前橋市新町 野村安二郎) | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1443 | PF9804 | 138/612-43-3 | 〔書簡〕(御目出たく申し祝い候、御年越し遊ばされ御目出たく存じ奉り候、変わり無く暮らし居り申し候故、御安心下され度候、他) | (明治41年)2月1日 | 母より | 吉田す美様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1444 | PF9804 | 138/612-43-4 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | (明治41年)2月1日 | 群馬県前橋市新町 野村安二郎 | (山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1445 | PF9804 | 128/590-2 | 〔書簡〕(大好物のビスケットと豆をありがとうございました、今日は宮崎の信義さんのお宮参りでございます、時節柄お体を大切に) | (明治)41年2月8日 | よね子(東京神田猿楽町 伊沢方 吉田よね) | 御母上様(群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1446 | PF9804 | 56/357-4 | 〔書簡〕(米子も日曜日にはまいり、宅の琴にておさらい致し、非常に勉強致し居り候由、御安心下されたく、私も去る25日に種痘致し候処、八つつき候には驚き申し候、此の方は非常の流行にて、母なども致し候、元濱町にても皆々様変わりなく、姉上様も続きて肥立ちもよろしく、10日ほど先に此の方に御出でになり候、種々申し上げ候事も前後致し候えば、御判じ御覧下されたく候) | 明治41年2月19日 | 真寿子(東京本所区緑町 大橋真寿子) | 御母上様(上野国桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1447 | PF9804 | 131/593-17 | 〔書簡〕(当方にては、玉氏の眼気はかばかしからず、今度樋渡医師にかかり申し候、実に困り入り申し候、母上は度々風邪引き致され候えども大した事もこれなく、その他一同無事罷り在り候間、御休心下されたく候、他) | (明治41年2月)19日 | 豊光(前橋市南曲輪町 小笠原豊光) | 御姉上様(桐生町五丁目吉田清蔵様方 吉田すみ子) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1448 | PF9804 | 60/372-1 | 〔書簡〕(お別れの2・3か月前より、少々加減悪しく診察受け候処、又々入院致し療治致し候様申され候につき、他の者にては不安心故、私に捨も殿より申し上げ候、宅も無人にて手抜かれ申さず処に候えども病気の事故、余儀無く出京致し候、他) | (明治)41年2月24日 | はは(母)より(市内麹町 柳病院内 小笠原喜代) | 寿美子との(群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田寿美子様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1449 | PF9804 | 95/477 | 流質物売払帳(第弐号、明治41年2月より、紙数50枚 明治41年2月24日検査、同日売り払い 金29円 合計37点 桐生町大字桐生新町 新井慶三郎、売り払い年月日、入質年月日・質物台帳番号、代価、流質品目・員数、買い受け・譲り受け人の住所・氏名、計42点、9月11日売り払い 金37円 桐生町五丁目 新井慶三郎 合計62点、明治35年3月29日 金60円 合計59品 桐生町大字桐生新町五丁目 新井慶三郎、大正元年9月25日 金2円 合計3個 桐生町四丁目 木村霍松、合計以上 大正元年10月11日) | 明治41年2月24日 | 山田郡桐生町大字桐生新町 吉田清蔵 | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1450 | PF9804 | 56/355-25 | 〔書簡〕(過日御照会申し置き候質物代金御送附申し上げ候処、御手数ながら着次第御送り下されたく願い上げ候)*挿入文書(端書表裏)有 | (明治)41年3月4日 | 松村寅次郎(長野県北安曇郡七貴村 中下織物工場内) | 吉田質店様(群馬県山田郡桐生町五丁目吉田大字桐生新町 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1451 | PF9804 | 109/561-23 | 〔書簡〕(武藤金吉君を再選せられんことを切望の至りに堪えず)*版 | 明治41年3月5日 | 子爵 秋元興朝 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1452 | PF9804 | 109/561-24 | 〔書簡〕(来たるべき総選挙に際しては、奮って深厚なる同情を賜らんことを切望に堪えず)*版 | 明治41年3月5日 | 武藤金吉 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1453 | PF9804 | 10/102-21 | 記(金41円74銭 但し 印当座貸越金、差引金41円74銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく、当期間の利息払込につき入帳、明治42年3月23日) | 明治41年3月16日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1454 | PF9804 | 10/102-23 | 記(金23円23銭 但し 印当座貸越金、差引金23円23銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく、金23円23銭 但し印当座借り越し金明治40年12月16日より明治41年3月15日に至る積数に対する利息、当期間の利息払込につき入帳、明治41年3月20日) | 明治41年3月16日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1455 | PF9804 | 10/102-27 | 記(金44円71銭 但し印当座貸越金、明治42年3月16日より明治42年6月15日に至る積数に対する利息当行にて受領すべき分、差引44円71銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく候也) | 明治41年(3月16日) | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1456 | PF9804 | 55/354-9 | 〔書簡〕(御父上様には無事着京遊ばされ候後、上原氏方へもお出で遊ばされ、忠彦氏と御相談の上御一泊遊ばされ候由、御目出度く存じ候、小生事、御父上様御出発後、金子清太郎氏方へ参り御申し付けの長家の件、便所を除き金30円也にて取り極め、金子の敷きは本月末日迄に出来致す様申し通じ候処承知せられ候、取り引きも金子引き替えの本月末日か来月上旬に致す事示談仕り候、他)*挿入文書有 | (明治)41年3月18日 | 吉田隆太郎 | 御父上様 | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1457 | PF9804 | 51/344-4 | 〔書簡〕(本日は、雨降り続きにて、用入中の父も雨天に拘とす、一昨日宥基方より書状着につき、他)*この他7月17日付書簡1通有、挿入文書有 | (明治)41年3月20日 | (吉田)以寛(東京日本橋区元濱町 宮崎方にて 吉田清蔵) | 隆太郎殿・為二殿(群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田隆太郎殿・同為二殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1458 | PF9804 | 133/595-8 | 〔書簡〕(先般は病気見舞状下され、誠に有り難く御礼申し上げ候、目下は多少は宜しき様の心地候間、先ずは御礼申し上げ候) | 明治41年3月21日 | (東京市神田駿河台 高田病院)江原辰之助 代筆 | 吉田清蔵様(群馬県桐生町 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1459 | PF9804 | 108/531 | 〔桐生東尋常小学校貸傘購入費寄附感謝状〕(今般当校児童貸し傘購入費として金90銭御寄附下され感謝、御礼申し上げ) | 明治41年3月22日 | 桐生東尋常小学校長 木村龍吉 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1460 | PF9804 | 51/344-3 | 〔書簡〕(新宿停車場着午後2時也、右電車停車場まで乗り、同所下車し、渥美氏宅相尋ねたるも雨降り申し、他) | (明治)41年4月9日 | (東京日本橋区元濱町 宮崎方 吉田清蔵) | (群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田隆太郎殿・為二殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1461 | PF9804 | 49/342-20 | 〔書簡〕(羽織、実に色もよく仕立も着心よく、黒も新しき物の様に相成り候、先日は御父上様は病気中に、ます殿より何申し上げるべく候哉の御手紙に候、実は正康耳痛み候故に建立参り候処、ますさん申し候には、高崎へ度々参り候哉と申し候、久しぶりにて参られ候と申し候処、度々参り候ては世間の手前も有ると申し居り候故、私方に参り候は差し支え無しと申し候、又かけものの事も大分御立腹の様に候、あの気質ゆえ御父上様は病中もかえりみず何か勝手のよき事申し上げ候哉と存じ候間、参り候はず、話候上お許し下され候様お詫び状両人にて差し上げるつもりに候処、未だ参られず、ついつい遅れ候間、悪しからず)*封筒有 | (明治41年)4月24日 | (東京市日本橋区元浜町 宮崎くら子)くら | (群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵)御両親様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1462 | PF9804 | 109/561-25 | 〔書簡〕(来たる明治41年5月15日に執行されるべき衆議院議員改選期に就いては、同志諸君の厚き御勧誘を蒙り候補に相立ち申し候間、何卒御賛成の上御尽力を辱うしたく、文面を以て申し進め)*版 | 明治41年4月 | 須藤嘉吉 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1463 | PF9804 | 109/561-26 | 〔書簡〕(政見書、第24議会に於ける帝国議会経過の概要報告書)*版 | 明治41年4月 | (群馬県碓氷郡原市町)須藤嘉吉 | (吉田清蔵殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1464 | PF9804 | 109/561-27 | 〔書簡〕(衆議院議員総選挙に際し、同志諸君の御推薦を辱うし候補に相立ち、幸いに御熱誠なる御賛成を拝し多数を以て当選、謹んで謝し奉り、当選御礼状)*版 | 明治41年5月 | (碓氷郡原市町)須藤嘉吉 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1465 | PF9804 | 109/561-28-1 | 〔書簡〕(金吉、立憲政友会より衆議院議員公認候補者として推薦致され、結果4,387票の大多数を以て当選、取り敢えず書中を以て御礼旁御挨拶)*版 | 明治41年5月 | (群馬県山田郡休泊村大字竜舞・東京市芝区南佐久間町)武藤金吉 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1466 | PF9804 | 109/561-28-2 | 〔書簡〕(群馬県郡部開票得点結果、細野次郎 6,260、武藤金吉 4,387、須藤嘉吉 3,812、根岸□太郎 3,320、佐藤虎次郎 2,969、日向輝武 2,713)*版 | 明治41年5月 | 武藤金吉選挙事務所 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1467 | PF9804 | 109/561-29 | 〔書類袋のみ〕(衆議院候補者及び議員当選者書類) | (明治41年5月) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1468 | PF9804 | 127/589-22 | 出産見舞物受納簿(吉田貞英、明治41年6月3日午後11時30分出産、奈良嘉平、奈良安吉、飯塚丹蔵、北澄清太郎、吉田徳平、宮崎律三、清水要二郎など、10月15日 宮参り祝配重受納物扣、貞英初節句祝受納覚 〆27軒 柏餅1つ8厘のを900個・1軒につき32個ずつ配る) | 明治41年6月3日 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1469 | PF9804 | 60/372-3-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | (明治)41年6月5日 | (前橋南曲輪町 小笠原きよ) | 山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1470 | PF9804 | 60/372-3-2 | 〔書簡〕(一昨夜は安産、殊に男子出生致し候由、やまやまお目出度く御よろこび申し候、他) | (明治)41年6月5日 | はは(母)より | おすみどの | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1471 | PF9804 | 60/372-3-3 | 〔書簡〕(昨日は、早速御知らせいただき、有り難く存じ上げ候、すみ子事安産、殊に男子出生致し候由、誠に御目出度く御よろこび申し上げ候、私事も御役にたたず候とも参上致したくと存じ候えども無人にて出懸け申さず御無沙汰致し候、他) | (明治)41年6月5日 | 喜代 | 御両親様・皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1472 | PF9804 | 60/372-3-4 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | (明治)41年6月5日 | 前橋南曲輪町 小笠原きよ | (山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1473 | PF9804 | 60/372-2-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | (明治)41年6月7日 | (京都吉田町 小笠原次郎) | 群馬県桐生町五丁目 吉田隆太郎 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1474 | PF9804 | 60/372-2-2 | 〔書簡〕(御出産、男子御分娩の趣、お目出度き事、此の上は御肥立ちの程祈り申し候) | (明治)41年6月7日 | (小笠原)次郎 | 御兄上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1475 | PF9804 | 60/372-2-3 | 〔書簡〕(男子御出産の趣、お喜び申し上げ候、御両親様御喜び、推察奉り候、何卒この後安体に御肥立ち遊ばされ候様御祈り、御養生専一に願い上げ候、他) | (明治)41年6月7日 | (小笠原)次郎 | 御姉上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1476 | PF9804 | 60/372-2-4 | 〔書簡〕(早速御通報下され有り難く謝奉り候、又々少し御耳障りの声が致し、御気の毒様には候えども、宜しく試験前、机に向かい、他) | (明治)41年6月7日 | (小笠原)次郎 | 為二様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1477 | PF9804 | 60/372-2-5 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | (明治)41年6月7日 | 京都吉田町 小笠原次郎 | (群馬県桐生町五丁目 吉田隆太郎) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1478 | PF9804 | 57/357-10 | 〔書簡〕(私事も3月頃より妊婦の様にて、食事もまずく、気分悪しく候えども只今は食も進み、心持ちもよろしく相成り、平常と少しも変わらず候由、御安心下されたく候、就いては、東京は里方より紅白の帯をいただく習慣の由に候よし、誠に恐れ入り候えども御送りたまわりたく、紅と申し候えども桃色木綿の色さめぬ品の由に候、来月のいぬの日の吉日を御父上様に見て頂きたく何とぞ御頼み申し上げ候、先ずは御頼みまで)*他1通有 | (明治)41年6月12日 | 真寿子 | 御母上様(上野国桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1479 | PF9804 | 10/102-20 | 記(金33円20銭 但し 印当座貸越金、差引金33円20銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく、金33円20銭 但し印当座借り越し金明治41年3月16日より明治41年6月15日に至る積数に対する利息、当期間の利息払込につき入帳、明治41年6月22日) | 明治41年6月16日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1480 | PF9804 | 10/102-15-1 | 通知書(金44円71銭 但し42年上半期繰越利子の通知、金40円36銭 但し明治41年9月16日より明治41年12月15日に至る積数に対する利息、差引金40円36銭、当期間の利息御払込につき入帳致し候、明治41年12月23日) | 明治41年6月21日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1481 | PF9804 | 108/502-15 | 〔記〕(群馬県桐生警察署建築費中へ金15円寄附候段奇特につき、その賞として木杯1個下賜候事) | 明治41年6月30日 | 群馬県知事 正五位 南部光臣 | 群馬県山田郡桐生町 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1482 | PF9804 | 61-62/376-42 | 〔書簡〕(母死去の処、早速隆太郎様お出で下され、種々御世話様に相成り、且つ多分の香料御恵贈に預かり、有り難く相受け仕り候、殊に御多忙の処、御会葬成し下され、御厚情深謝奉り候、他) | (明治)41年7月3日 | (前橋市南曲輪町)海さ原錠三郎 | 山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1483 | PF9804 | 57/360-2-2 | 〔書簡〕(今度貴殿より種々国産の佳品御恵贈に預かり有り難く鳴謝奉り候、他) | (明治)41年8月15日 | 寺田 | 吉田母上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1484 | PF9804 | 57/360-2-3 | 〔書簡〕(今度唯崎君より御談し之れ有り候処、貴殿況拙地に奉らず書面2通も戻り候由、如何次第御座候、私は貴殿出発致せしより我が子が他に出し心地致し、今日戻るか明日戻るかと待ち居り、他) | (明治)41年8月15日 | 寺田 | 吉田宥基様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1485 | PF9804 | 57/360-2-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | (明治)41年8月18日 | (東下村字波崎 寺田ヒデ) | 群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵殿宅にて 吉田宥基様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1486 | PF9804 | 57/360-2-4 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | (明治)41年8月18日 | 東下村字波崎 寺田ヒデ子 | (群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵殿宅にて 吉田宥基様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1487 | PF9804 | 133/595-10 | 〔書簡〕(この度は、御配慮に預かり、感銘候、御不快誠に御老体にも拘わらず御奔走下され候段、重ねて御礼申し上げ候、他) | (明治41年)9月10日 | (東京市小石川区原町)江原辰之助 | 吉田尊吉(群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1488 | PF9804 | 18/213 | 質物台帳 第七号(明治41年9月より明治42年4月12日に至る、紙数200枚 明治41年9月12日検査、利子割合、流質期限、入質月日・貸金額・受け戻し利払い・流質年月日・物品種類品質模様員数・質置き主など)*大冊 | 明治41年9月12日 | 群馬県山田郡桐生町大字桐生新町 吉田清蔵 | 罫1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1489 | PF9804 | 10/102-16 | 記(金34円25銭、差引金34円25銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく、差引金34円25銭入帳、明治41年9月19日 吉田清蔵宛) | 明治41年9月16日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1490 | PF9804 | 51/344-6 | 〔書簡〕(燈台元暗し 燈台を見て 足元けつまづき、他) | (明治)41年9月24日 | 父母 | 生家 吉田隆太郎殿、同 為二殿、同 寿ミ殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1491 | PF9804 | 61/376-18 | 〔書簡〕(末廣橋改築工事に就いては、特に御助力を仰ぎ、御蔭を以て工事も漸く竣工致し候につき、来る11月3日より開通致すべく候間、右御報告旁従来の御厚志に対する御挨拶まで、此の如くに候)*版 | 明治41年10月 | 菱村第三区長 細川美喜彌、菱村大字黒川字廣見 架橋世話人一同 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1492 | PF9804 | 62/377-20 | 〔書簡〕(大日本人名辞書 訂正増補第六版予約広告)*版 | (明治)41年11月7日 | 東京市京橋区 合名会社 経済雑誌社 | 群馬県桐生町新町 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1493 | PF9804 | 57/357-13 | 〔書簡〕(御婚礼間近にて、さぞさぞ御多忙の義と察し居り候、私ことも誠に丈夫にて、食事も大層進み、妊婦の様には少しも見えぬと人より申され、少しもやつれず候、今朝起き候処、少々おり物致し候えども御腹は少しも痛まず候えども杉浦先生呼び検診致させ候方よろしくと申し候まま電話にて申しやり候処、杉浦先生・助手1人連れ大急ぎに参り診察致し候処、いまでもよろしくなく候えば、今晩か明日頃出産致し候由といろいろ仕度致し帰宅致し候、他) | (明治)41年12月6日 | (東京本所緑町 大橋真寿子)真寿子 | (上野国山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様)御母上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1494 | PF9804 | 60/372-4 | 〔書簡〕(昨日は御招き状いただき、有り難く存じ上げ候、明後日に御日柄もよく御婚儀のよし、万々御目出度く御喜び申し上げ候、ぜひぜひ御よろこび参上致すべき筈に候えども次郎は未だ帰省致さず、尽は試験前にてせわしく参上致し兼ね、何れ其の内、他) | (明治)41年12月13日 | はは(前橋南曲輪町 小笠原喜よ) | お寿美どの(山田郡桐生町五丁目 吉田寿美子どの) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1495 | PF9804 | 52/347-2 | 〔書簡〕(為二様御婚儀につき、祝賀奉り候、先ずは御祝儀申し上げたく、謹んで右申し進め、他) | 明治41年12月15日 | 在東京 香楳(香梅、在東京日本橋 吉田香梅) | 吉清蔵伯父上様・同 伯母上様・同 為二様(桐生新町五丁め 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1496 | PF9804 | 127/589-23 | 二男為二婚儀之御客連名帳(組合 吉田孝造、吉田徳平、北澄清太郎、深谷平八、河内隆司、赤堀恵助、飯塚丹蔵、他) | 明治41年12月15日 | 吉田清蔵 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1497 | PF9804 | 10/102-15-2 | 記(金40円36銭、差引金40円36銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく、差引金40円36銭入帳、明治41年12月23日 吉田清蔵宛) | 明治41年12月17日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1498 | PF9804 | 133/595-9 | 〔書簡〕(小生義、不幸にも本月上旬より、突然病気の為め打ち臥し居り、今以て困却罷り在り候、一時は重態に陥り、依って大いに心痛致し候処、両3日前より少々宜しく相成り候て、他) | (明治41年)12月21日 | (東京市小石川区原町)江原辰之助 | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1499 | PF9804 | 54/349-21 | 〔書簡〕(年末と相成り、定めし御多忙の御事と存じ候、過日は思わぬ失態仕り、申し訳の至り御座なく候、米子には今頃は楽しくお正月を待ち居ることと存じ候、当校にては6月より3日以上田植えのため休校仕り候間、授業は繰り上げ、本月28日まで之れ有り候につき、残務取りまとめ、1月元旦の式をすまして1日の夕刻帰桐仕る考えに候) | 明治41年12月27日 | 吉田宥基 | 御家中皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1500 | PF9804 | 61/374-5 | 〔書簡〕(謹啓 時下向寒の候、貴家益々御威栄の段、賀奉り候、忰片柳繁二郎義、婚儀相整い候につき、本月6日粗酒献上申したく候間、何卒万障御差し繰り、午後4時より御尊来下されたく、此の段御招待申し上げ候) | 明治41年12月 | 吉田孝造 | 吉田清蔵様、皆々様(吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1501 | PF9804 | 61/376-3 | 〔書簡〕(二女英子儀、当春中養子婚約相整え居り候処、今般右御披露の為、粗酒献呈仕りたく候条、御繁用中恐縮の至りに候えども来る10日午前7時、何卒万障御差し繰りの上、拙館へ御光来成し下されたく、此の段御招待申し上げ候)*版 | 明治41年12月 | 桐生館 松嶋富三 | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1502 | PF9804 | 139/615-1 | 結婚式仮準備諸事払(色縮緬上着、無地縮緬、シゴキ一筋、甲櫛、表付下駄 1足、絹足袋1足、為二分 袴1下りなど) | 明治41年 | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1503 | PF9804 | 54/349-36 | 〔書簡〕(楽しく満是に42年を迎えられたるは、皆々様の御高恩によることの外なく、今年は大いに面目を改める覚悟に候、小子5日午後4時頃に無事到着仕り候間、御放念下されたく候、学校にては夜学の都合上、遠き教員は宿直して教え、且つ病気の為1名自宅より通えぬ教員之れ有るにつき、この度は宿直室手狭と相成り候につき、校長も色々心配くれ、佐下橋君と共に農家を今・明日中に見付けくれる由に候間、左様御承知下されたく候、他) | (明治42年)1月7日 | 龍舞にて 宥基(龍舞村 吉田宥基) | 御家内・皆々様(桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1504 | PF9804 | 62/377-17 | 〔書簡〕(桐生東校へ雨傘購入代金寄付収支決算書、金134円60銭 寄付金総計、雨傘10本、支出合計金98円2銭5厘、差引残額金36円57銭5厘 雨傘補欠資金として銀行へ預け置き) | 明治42年1月20日 | 発起者 石川只七、神山芳次郎、霜鳥増蔵、小林利平、高木鉄太郎、中嶋政吉、塩谷亀次郎、森山芳平 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1505 | PF9804 | 63/378-44 | 〔書簡〕(過般御次男為次殿、目出度く御婚儀相整い候段、謹慶此の事に御座候、是非とも参上、御祝い申すべき処、御承知の通り当方には不幸事之れ有り候為、参上致す事叶わず遺憾千万に御座候、他) | 明治42年1月20日 | 島﨑貞 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1506 | PF9804 | 47/335-1 | 〔地目変更地図〕(道路、水路、官有土手、田・山林・原野など) | 明治42年1月 | (吉田清蔵) | 2枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1507 | PF9804 | 57/357-24-2 | 〔書簡〕(風邪にて、4人の子供かわりがわりに臥せり、少しもひまなく、それに老人留守に来客やらごたごた忙しく存外失礼致し候、鈴子も4日、修善寺へ参り候、湯も清く魚は新鮮、気候もよくはや梅も咲き候由に候、他) | (明治)42年2月12日 | 真寿子 | 為次様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1508 | PF9804 | 57/357-24-3 | 〔書簡〕(鈴子もようやく4日に修善寺へ入湯に参り候、17日頃は帰宅致し候由、20日には操の祝い、鈴の全快祝いとも致し候積もりに候、他) | (明治)42年2月12日 | 真寿子 | 御両親様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1509 | PF9804 | 57/357-24-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | (明治)42年2月13日 | (東京本所緑町 大橋真寿子) | 上野国山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1510 | PF9804 | 57/357-24-4 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | (明治)42年2月13日 | 東京本所緑町 大橋真寿子 | (上野国山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1511 | PF9804 | 62/377-11 | 〔書簡〕(故宮崎有敬翁紀功碑建設に就いて賛助金募集、1名金2円以上、他)*版 | (明治)42年2月15日 | (前橋市 群馬農工銀行内 木下久米太郎) | (山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1512 | PF9804 | 30-32/219 | 金銭出納帳(明治42年2月より明治42年11月22日に至る、2月21日 金3円62銭 先帳有金など、3月4日 入52銭 星野清吉、3月30日 金50円 足利銀行へ預金、4月18日 金50円 足利銀行へ預金、4月27日 金50円 足利銀行引き出し、5月14日 金50円 足利銀行預金、8月16日 金1円 高橋福太郎 入、8月25日 80銭 池田セキ 入、8月29日 金150円 足利銀行へ預金、8月31日 差引有金76円7銭5厘、他) | 明治42年2月21日 | 第六号 吉田清蔵 | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1513 | PF9804 | 51/344-18 | 〔書簡〕(昨日は快晴又暖気の為、為二、午前8時半頃より出向、本郷区また日本橋等々5・6軒廻り帰宅、本日も快晴、他) | (明治)42年2月21日 | 有寛(東京本所区緑町 大橋方にて 吉田清蔵) | 群馬県山田郡桐生町五 吉田隆太郎殿・同 為二殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1514 | PF9804 | 62/377-10 | 〔書簡〕(領収証 金5円 故宮崎有敬建碑拠金、正に領収) | (明治)42年2月21日 | (群馬県前橋市本町18番)株式会社 群馬県農工銀行内 木下粂太郎 | 吉田清蔵殿(山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1515 | PF9804 | 55/354-13 | 〔書簡〕(当方にても前便申し上げ候通り別に変わりなく、御安意下されたく候、宮崎方にては本日七夜祝いに御座候、姉・子供両人もその後の経過、益々良好に之れ有り、他) | 明治42年2月22日 | 為二 | 御父上様 | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1516 | PF9804 | 62/377-18 | 〔書簡〕(足尾鐵道株式会社創立総会開会通知書)*版 | 明治42年3月27日 | 東京市京橋区日吉町 足尾鐵道株式会社創立事務所 発起人総代 創立委員長 近藤陸三郎 | 株式引受人(字桐生新町 吉田清蔵殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1517 | PF9804 | 62/377-12-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | 明治42年4月1日 | (前橋市 群馬農工銀行 木下久米太郎) | 山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1518 | PF9804 | 62/377-12-2 | 〔書簡〕(故宮崎有敬翁紀功碑建立につき、多数なる有志各位の御賛同を蒙り、御蔭を以て弥々前橋市公園地内、東照宮の北畔に建設成り、壮観なる光景を発輝せしは同じく有志各位の賜にして、翁の霊や髣髴として謝意を表せんとするの感を生じ、他)*版 | 明治42年4月1日 | 建碑斡旋者一同、亡有敬 男 宮崎有親、男 宮崎律三 | 吉田清蔵殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1519 | PF9804 | 62/377-12-3 | 〔書簡〕(会計報告、収入の部 合計金834円、支出の部 合計金834円)*版 | 明治42年4月1日 | 会計取扱者 木下粂太郎 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1520 | PF9804 | 91-92/472 | 質物台帳 第八号(明治42年4月より明治42年12月6日、利子割合、流質期限、質物災難に罹りたるときの処弁方、質物出入時間、紙数表紙除く200枚、明治42年3月31日検店・群馬県警部之印、4月12日 福田辰三郎など、番号、入質月日、貸金額、受け戻し利払い・流質年月日、物品種類・品質・模様・員数、質置き主住所・氏名一覧表、明治42年7月分 質取高 金691円90銭5厘、9月分 質物取入高 金418円52銭5厘、分冊№91には10月21日までの記載有、10月分 取入高 〆金692円65銭5厘、明治42年11月分 質取高 668円37銭) | 明治42年4月12日 | 山田郡桐生町大字桐生新町 吉田清蔵 | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1521 | PF9804 | 61/376-1 | 〔書簡〕(私儀、永年当地電灯会社へ御厄介に相成り居り候処、昨年7月自己の都合により職を辞し、爾来能楽館の留守居旁興行に従事致し居り候処、今般有志諸君の御勧めにより名広めとして東京娘義太夫昇光一座を聘し、来る7日より3日間興行仕り候間、万障御差し繰り御来臨の栄を得たく、右御招待申し上げ候也)*版 | 明治42年4月 | 能楽館興行人 塚本清次郎 | 吉田隆太郎様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1522 | PF9804 | 62/377-16-1 | 〔書簡〕(封筒宛名書き面) | 明治42年5月29日 | (桐生税務署) | 桐生町大字桐生新町 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1523 | PF9804 | 62/377-16-2 | 〔書簡〕(所得調査委員選挙に関し、選挙人より申し出での次第に之れ有るにつき、篤と御協議致したく候条、来る31日、万障御差し繰り、同日午後1時を期し、当役場へ御参集相成りたく、此の段御通知及び候也) | 明治42年5月29日 | 桐生町役場 | 所得調査委員選挙人 吉田清蔵様 | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1524 | PF9804 | 62/377-16-3 | 〔書簡〕(所得調査委員及び補欠員選挙人名、今般協議の上左の諸氏に内定致し候条、御賛成之れ有りたく候也、調査委員 桐生町大字桐生新町 今泉健次郎、大間々町大字大間々町 中島卯三郎、補欠員 桐生町大字桐生新町 佐々木傳吉、相生村大字天王宿村 藍原角太郎、大間々町大字大間々町 須永善十郎、休泊村大字龍舞村 小内歌蔵、桐生町大字安楽土村 森山芳平) | (明治42年5月29日) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1525 | PF9804 | 62/377-16-4 | 〔書簡〕(所得調査委員並びに補欠員選挙執行につき、左記の各項御了知相成りたく、投票用紙添付し御通知及び候也、他) | 明治42年5月29日 | 桐生税務署長 高田菊一郎 | 桐生町大字桐生新町 吉田清蔵様 | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1526 | PF9804 | 62/377-16-5 | 〔書簡〕(封筒差し出し面) | 明治42年5月29日 | 桐生税務署 | (桐生町大字桐生新町 吉田清蔵様) | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1527 | PF9804 | 61/374-3 | 〔書簡〕(享一病気御見舞下され有り難く深謝奉り候、今朝は為二様御見舞下され御礼申し上げ候、他) | 明治42年5月31日 | 群馬県桐生町 吉田整錬染色工場 吉田儀平 | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1528 | PF9804 | 61/374-6 | 〔書簡〕(この度病人の子につき、種々御心配に預かり、御多用の処、度々御見舞下され候に有り難く存じ候、先日は御秘蔵の機械御拝借致し、之れ又有り難く御厚礼申し上げ候、昨夜も御多忙の処、おむめ様御見舞下され、他) | 明治42年6月3日 | 群馬県桐生町 吉田整錬染色工場 吉田儀平(吉田信) | 吉田御一同様(五丁目 吉田様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1529 | PF9804 | 62/377-22 | 〔書簡〕(鳩印 工具鋼品種代価表など広告) | 明治42年6月18日 | 鳥取県米子町 合資会社 米子製鋼所、関西一手販売所大阪西区立売堀北通 勝本忠兵衛、関東一手販売所東京京橋区竹河岸 森島商会 | (群馬県山田郡桐生新町 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1530 | PF9804 | 56/355-30 | 〔書簡〕(神武館主旨、規則 第1条~第17条) | 明治42年6月 | 神武館主 菊地浪之助、発起人 岩下才助・原勢治平・堀林蔵ほか13名、幹事 岩崎寛四郎・同 野本始次郎・同 塩谷豊四郎・同 吉野彦一 | (吉田隆太郎殿) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1531 | PF9804 | 10/102-28 | 利息改正通知書(契約当座貸越金利子、明治42年8月16日より利息改正の通知、当座貸越金利息金 100円につき1日金3銭) | 明治42年8月14日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1532 | PF9804 | 10/100 | 所得金額決定通知書(明治42年分、第三種所得金1231円74銭、右通知す) | 明治42年8月19日 | 桐生税務署長 税務署属 高田菊一郎 | 山田郡桐生町大字桐生新町 吉田清蔵 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1533 | PF9804 | 10/102-24 | 通知書(記 金44円95銭 但し印当座貸越金、明治42年6月16日より明治42年9月15日に至る積数に対する利息当行にて受領すべき分、差引44円95銭、当期間の利息精算申し上げ、本月24日迄に御払い込みありたく)*貼り紙有 | 明治42年9月(16日) | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 2枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1534 | PF9804 | 109/559-6 | 〔辞令〕(依願免小頭、桐生消防組組頭 岩下才助の押印有) | 明治42年11月9日 | (群馬県警察部 印) | 桐生消防組 小頭 吉田隆太郎 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1535 | PF9804 | 33-38/220 | 〔金銭出納帳〕(明治42年11月23日より明治43年5月31日・同年12月31日、明治44年5月31日・同年10月10日・明治45年2月29日・同年9月23日まで)*表紙欠、大冊 | 明治42年11月23日 | (吉田清蔵) | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1536 | PF9804 | 10/102-25 | 通知書(記 金41円31銭 但し印当座貸越金、明治42年9月16日より明治42年12月15日に至る積数に対する利息当行にて受領すべき分、差引41円31銭、当期間の利息精算申し上げ候間、本月24日迄に御払い込みありたく)*貼り紙有 | 明治42年12月(16日) | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 2枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1537 | PF9804 | 127/589-25-1 | 長女悦子 出産見舞受納控(鰹節1把 吉田儀平、メリンス1丈 吉田トウ、玉子11個など 奈良嘉平、他) | 明治43年1月17日 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1538 | PF9804 | 128/589-37 | 出産見舞覚(長女悦子、鰹節1組・白米1升など 吉田儀平、メリンス友染1丈 吉田トウ、太織友染半反祝 奈良嘉平、他) | (明治43年)1月17日 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1539 | PF9804 | 127/589-26 | いそ子・幌 病気見舞受納覚(玉子15 折入り 三井田安平、玉子15 折入り 金子良資、玉子15 折入り 周東喜四郎、他) | 明治43年1月23日 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1540 | PF9804 | 10/102-29 | 通知書(金41円57銭、但し利子、入帳済み通知) | 明治43年3月19日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1541 | PF9804 | 127/589-25-2 | 長女悦子 初節句祝之控(祝い品 親王・内裏様1対 吉田儀平、三人官女 吉田トウ、高砂1対 宮崎律三、恵比寿様 三井田安平、三番隻 庄司藤太郎、汐汲み 飯塚丹蔵、他) | 明治43年3月 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1542 | PF9804 | 87/462 | 買物帳(記 金21円47銭5厘 受取 明治43年4月22日 大塚甚四郎、22日 金4円40銭 八百友、金22円40銭 遠田安蔵など 〆金305円21銭5厘、外に金9円60銭 藤掛峯次郎払い) | 明治43年4月17日 | 吉田隆太郎 | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1543 | PF9804 | 10/102-30 | 通知書(金59円9銭、但し利子、入帳済み通知) | 明治43年6月21日 | 株式会社 足利銀行桐生支店 | 吉田清蔵 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1544 | PF9804 | 19/214 | 質物台帳 第拾号(明治43年11月より明治43年12月に至る、紙数200枚 明治43年11月8日検査、利子割合、流質期限、質物出入時間、入質月日・貸金額・受け戻し利払い・流質年月日・物品種類品質模様員数・質置き主など)*大冊 | 明治43年11月8日 | 群馬県山田郡桐生町大字桐生新町 吉田清蔵 | 罫1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1545 | PF9804 | 92-93/473 | 質物台帳 第壱号(明治43年より、紙数200枚、明治43年12月6日検査・群馬県警部之印、定 利子割合・流質期限・質物出入時間、12月7日 金3円 餅米1俵 足利郡菱村 世取山清太郎など、番号、入質月日、貸金額、受け戻し利払い・流質年月日、物品種類・品質・模様・員数、質置き主住所・氏名一覧表、明治43年12月分 質取入高 金448円15銭、明治44年1月1日 70銭 岡本ツネ、明治44年1月 質取高 金297円87銭5厘、明治44年2月分 質取高 金367円85銭5厘、3月分 質取入高 〆金366円89銭 ここまで分冊№92、4月分 質物取入高 〆金420円37銭、5月分 質物取入高 〆金406円79銭5厘、6月分 質取入高 〆金411円14銭1厘、7月分 質取入高 〆金363円48銭、8月分 質物取入高 〆金249円63銭、9月分 取入高 〆金289円50銭、10月分 質物取入高 〆金400円23銭、11月13日まで記載有) | 明治43年12月7日 | 山田郡桐生町大字桐生新町 吉田清蔵 | 1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1546 | PF9804 | 127/589-24 | 悦子羽子板・達雄破魔弓 受納品之控(表紙・裏表紙のみ)*虫損につき未撮影 | 明治43年12月 | 吉田清蔵 | 横長1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1547 | PF9804 | 19/215 | 質物台帳 第弐号(明治44年11月より、質物台帳紙数200枚 明治44年11月4日検査、利子割合、流質期限、質物出入時間、入質月日・貸金額・受け戻し利払い・流質年月日・物品種類品質模様員数・質置き主など)*大冊 | 明治44年11月4日 | 山田郡桐生町大字桐生新町 吉田清蔵 | 罫1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | ||
1548 | PF9804 | 134/601-1 | 〔書簡〕(初春の御寿、同じ御事と祝い納め参らせ候、昨年中は種々御世話様に相成り、早速御伺い申すべきの処、甚だ御無沙汰致し申し訳も御座無く候段、悪しからず、他) | (明治)1月1日 | 小じま かく | 吉田清蔵様・皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1549 | PF9804 | 54/349-27 | 〔書簡〕(小生無事越年仕り候間、御よろこび下されたく候、元日に村の明神様に早朝参詣仕り、家の方に礼拝仕り、雑煮を腹一杯戴き申し候、餅は柳橋方にて搗くと思い2升搗くを頼み申し候、学校の式は11時に始まり11時半頃に式終わり、それより職員・来賓に学校より馳走ありて宴会仕り、大いに酔い申し候、小生は戴けつ候まま、みかん・いわしのシラヒ等を大いに頬張り申し候、他) | (明治)1月2日 | 鹿島郡東下村波崎 寺田方 吉田宥基 | 御家内・皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1550 | PF9804 | 59/368-5 | 〔書簡〕(泰奉新稔の尚相替わらざる御愛顧の程、偏に希上げ候、他) | (明治)1月2日 | 橋本篤太郎 | 吉田清蔵様、御内政様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1551 | PF9804 | 61/376-10 | 〔書簡〕(恭賀新年、先頃出向きの節、吉五郎殿よりおげん事の取り極め儀、上の内と能く談事の上、取り極め致す旨申され、何卒吉五郎殿の宜しき様に何か様とも取り極め申したく、同人御相談に及び候節、此の段先方次第にて宜敷き侭、左様取り計らい之れ有りたく、他) | (明治)1月2日 | 吉田安平 | 吉田清蔵君 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1552 | PF9804 | 129/592-22 | 〔書簡〕(初春の寿、御両親様御初め皆々様御揃い御機嫌よく、若葉の春へ御うつりに遊ばされ候御事御めでたく、幾万に年も千代・万代の末までも祝納まいらせ候、他) | (明治)1月2日 | 宮崎く良子 | 桐生町 吉田御両親様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1553 | PF9804 | 54/349-31 | 〔書簡〕(兼ねてよりお話し申し上げ候下宿の儀は、この度校長及び佐下橋君の尽力により1日の日に1軒の家を借り申し候、家は波崎のと同様隠居家にて、その上に当家は村にての財産家の金子に候、家の人は皆親切にて、常に色々のおかずなどを貰って母の様に候、少子は運のよき者と存じ候、他) | (明治)1月3日 | 休伯村龍舞神明 金子佐七方 吉田宥基 | 御家内・皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1554 | PF9804 | 54/349-32 | 〔書簡〕(先日は、書籍代として金1円借用仕り候えども別紙に申し上げたる通り、この度自炊仕り、費用の為、1円送金仕ると、今後月給日まで困り居る次第に相成り候間、今月の25日まで借用仕りたく、他) | (明治)1月3日 | (吉田)宥基 | 為次御兄上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1555 | PF9804 | 44/267-7 | 記(金4円と40銭、品代受取) | (明治)1月4日 | 小川角太郎 | 吉田おたけ さま | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1556 | PF9804 | 49/342-10 | 〔書簡〕(新年目出度く、明5日参上のお伺い、少々聞き及び候点も之れ有り、4・5日間延期、昨日山田新平氏の話に、足尾鉄道も桐生・足尾間に又々再燃の様子、地所売却上好都合かと相考え申し、委細御面談、右は未だ秘密)*封筒有 | (明治)1月4日 | (日本橋区元浜町)宮崎律三 | (群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵)吉田大人 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1557 | PF9804 | 59/371-6 | 〔書簡〕(本年も明6日御年禮を兼ね拝参仕るべく候所存に罷り在り候処、不測会社の要務にて、本日二番汽車に乗り出京の事に相成り候につき、其の意を果たし候次第に相成り候、他) | (明治)1月5日 | 弟 関口憲示 | 吉田大兄 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1558 | PF9804 | 59/370-13 | 〔書簡〕(御親公には御死去の趣、誠に驚き入り、愁傷此の上無き義に御座候、御一同方大力落とし御察し申し上げ候、他) | (明治)1月6日 | 東京より | 吉田幸兵衛様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1559 | PF9804 | 129/592-15 | 〔書簡〕(分家の件、両人罷らざる故委任状を以て取扱い候にて、有親方は姉上様よりお送り下され候委任状を用い、律三の方は之れ無く役場へ歎願致し、他にもし取り調べ御座候時は、代9人は勿論役場まで送載相掛かり方も計り難く存じ候故、他) | (明治)1月6日 | く良子(前橋大渡り くら子) | (上毛桐生町五丁目) 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1560 | PF9804 | 136/607-2 | 〔書簡〕(賀正、実は、今度は四方山の話しなど致し、旁以て旧交を暖めたく、年は改まり候えども学生にとりては大晦日(第3学期なれば)に近かるとぞ奮励一番、よき年を迎えられんを祈る) | (明治)1月7日 | 小林(県下藤岡町 小林勉) | 吉田兄(上州太田中学校 寄宿舎内 第壱年生 吉田宥基) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1561 | PF9804 | 49/342-19 | 〔書簡〕(御前様事、商売専一に御精に成られ候事に御決心成られ候趣、何よりの事に存じ候、就いては、これまでとは心を入れ替え一生懸命に精々成られ候様に致したく、此の度こと一生懸命に商売なされ候には仕入れも十分になされ候方よろしく、またこの月末大売り出しなされ候には尚更の事ゆえ、仕入れ都合によりては一時々にて宜しく候えば、5000・6000円位なれば宮崎に都合致させ候間、御出京の節、お立ち寄り下されたく)*封筒有 | (明治)1月8日 | (足利町 宮崎くら子)宮崎姉 | (上毛桐生町五丁目)吉田隆太郎 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1562 | PF9804 | 50/343-30 | 〔書簡〕(先日は、宮崎愛子参上致し、いろいろと御馳走様に相成り、御土産迄も頂き、皆々様に愛子へ御年玉頂き、数々有り難く厚く御礼申し上げ候、他) | (明治)1月8日 | くら子 | 吉田御両親様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1563 | PF9804 | 57/357-16 | 〔書簡〕(本日、米子、登子には、種々御みやげ頂き、内にも何よりの品下され、有り難き御事と存じ居り候処、御蔭様にて早速重宝いたし候、他) | (明治)1月8日 | 真寿子(東京本所区緑町大橋真寿子) | 御両親様(上野国山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1564 | PF9804 | 63/378-11 | 〔書簡〕(予て相談致し候赤十字社総管、明午前9時発車にて、前橋へ参席致すべき筈につき、御繰り合わせ御出向願い上げたく、且つ出発の際は御尊家様へ立ち寄り御同伴願い上げ候) | (明治)1月9日 | (佐羽萬平) | (桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1565 | PF9804 | 133/595-3 | 〔書簡〕(地所、本日戸長役場へ出頭、奥書並びに書き換え願い等の御手配仕り候処、売渡証書の印紙1枚不足にて、印紙御協用は勿論、手数料とも併せて御遣わし下されたく、此の段申し上げ) | (明治)1月9日 | 岩崎民三郎 | 吉田清蔵様 | 罫1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1566 | PF9804 | 59/370-17 | 〔書簡〕(14日に大間々へ出で候て御届け下されたく願い上げ奉り候、他) | (明治)正月10日 | 九嘉六兵衛 | 吉田清助様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1567 | PF9804 | 61/375-1 | 〔書簡〕(昨夜は甚だ失礼仕り候、其の際御願い申し上げ置き候辞職書、封中差し上げ候間、御多忙中恐縮乍ら、何卒宜敷御配慮相願い上げたく御依頼申し上げ候) | (明治)1月10日 | 竹内藤吉 | 吉田様(吉田隆太郎様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1568 | PF9804 | 58/367-5 | 〔書簡〕(私事、昨12月17日、かるく相成り候えどもいつもと違い、少し煩い候故、跡の肥立ちはかばかしく参り兼ね、他) | (明治)1月11日 | いね(アザミにて 同いね) | お宇た様(五丁目 吉田お宇多様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1569 | PF9804 | 59/370-8 | 〔書簡〕(一昨日、前橋御派出御願い申し上げ候該費用の儀は、悉く下私持ちの事に御願い申し上げ候、事実小生御願い致しより該事について派出下され候費用は素より貴君へ懸けべきものに之れ無く、昨日書状へ添えて御遣わし相成り候金1円御返戻申し上げ候間、御入手下されたく候也、他)*この他請取証1通有 | (明治)1月11日 | 阿久津重三郎 | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1570 | PF9804 | 64/381-11 | 〔郵便はがき〕(新年御吉慶目出度く、私義昨年中は色々お世話様に相成り、病気も全快に成り候処、御様子により、又御厄介に成り候、早々葉書を以て御年始申し述べ) | (明治)1月11日 | 吉田げん | 群馬県山田郡桐生新町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1571 | PF9804 | 53/348-7 | 〔書簡〕(7日に帰りました時は、上野に3時半に着きまして、4時に家に無事に着きました、桐生の停車場から樋下田さんと一緒でございまして、道中はあきませんでした、他) | (明治)1月13日 | よね子 | 御両親様・皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1572 | PF9804 | 56/355-28 | 〔書簡〕(先般愚母葬送の節は、御会葬成し下され、有り難く厚く御礼申し上げ候、他) | (明治)1月14日 | 浄運寺中 池田善達 | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1573 | PF9804 | 59/368-3 | 〔書簡〕(大至急申し上げ候、志げ義、数日以来より小生不在中を窺い、小生の無頼官物・蚊帳等迄、且つ自分物も勿論、何れか送付なし、未だ去月以来少しも相知れず候処、本月にて相知れ、先ず以て今日の有様は、他) | (明治)1月16日 | 橋本篤太郎 | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1574 | PF9804 | 64/381-15 | 〔郵便はがき〕(本月14日出しを以て阿左美藤生宛てにて証書封入の書状差し出し、右は藤生の調印至用につき左に取り計らい申し候、未だ藤生氏には貴家へ参上致さず候哉、此の段御伺い申し上げ、他) | (明治)1月18日 | 東京浅草区田島町 小野新四郎 | 群馬県桐生町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1575 | PF9804 | 135/604-8 | 〔書簡〕(先頃、まきより情実大概参り、早速御返答仕るべきの処、折り悪しく病人且つ兄弟2人出産も有り、遂に私事に取り紛れ、未だに相談一決仕り居るは何等の御挨拶も致し兼ね候様の場合、他) | (明治)1月18日 | (下毛足利)本島半兵衛 | 須藤幸三郎様・吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1576 | PF9804 | 62/378-5 | 〔書簡〕(昨日は罷り出で、種々御厄介に相成り候処、謝奉り候、就いては兼ねて申し上げ置き候通り、本日町役場へ出頭候所、手島助役氏は出勤之れ無きにつき、やむを得ず長澤氏へ右の次第提示致し、此の間中の結果、至急報知之れ有りたき旨依頼致し置き候所、右長澤氏にも右一条悉く心配致され居り、何卒諸氏なして是非とも御尽力を蒙りたき旨申され居り候次第、依りて帰りの際、佐羽万平氏宅へ立ち寄り、御脇義(協議)申し致しなし候所、居り悪しく御不在にて面会を得ず、若者に様子を聞くに、此の程中不在故、未だ手島氏には面会之れ無き様子に承り候、依りて此の段一寸御報まで申し上げ候) | (明治)1月19日 | 川井貞郎 | 吉田大兄(吉田清蔵君) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1577 | PF9804 | 134/599-1 | 〔書簡〕(共有金調査の儀、本日午前より取扱い申したく存じ候故、如何成すべきか御伺い申したく) | (明治)1月19日 | 佐羽吉次郎 | 吉田賢兄(群馬県山田郡桐生町五丁目 吉田清蔵) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1578 | PF9804 | 53/348-5 | 〔書簡〕(此の頃は、毎日のように雨や雪にて、実にお寒も烈しくございますが、御両親様・皆々様にはお変わりはございませんか、先日兄様からのお葉書に書いてございましたが、母上様にはおかげんがお悪いそうでございますが、如何でございますか、伺いたいと思って居りましたが、学校の忙しいために伺う事も出来ませんでした、本所のお宮参りは28日だそうでございますね、他) | (明治)1月21日 | よね | 御両親様・皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1579 | PF9804 | 59/370-10 | 〔書簡〕(その後は御伺いも申し上げず候えども皆々様御機嫌克く珍重の御義御座候、然らば御親公御死去の後は御回向、夫々御淋し一通り御心配成らず、他) | (明治)1月21日 | 東京より | 吉田幸兵衛 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1580 | PF9804 | 64/381-12 | 〔郵便はがき〕(去る14日を以て阿左美へ向け封入し致し、証書差し出し置き、本日に至るも何等の便りも之れ無く、当惑致し申し候につき、1日も早く換金させ着候様至急御取り計らい下されたく、呉々も御依頼申し上げ候、他) | (明治)1月21日 | 東京浅草区田島町 小野新四郎 | 上州桐生町五丁目 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1581 | PF9804 | 61-62/376-38 | 〔書簡〕(吉田繁美殿、今度野生方に雇い入れ候処、日浅くして風邪の様にて医師の診察を得んと欲すれども本人何分にも聞かず、病気次第に久に重なり、今は如何とも致し方無く大病に相成り、他) | (明治)1月22日 | 荒澤学 | 吉田清造(吉田清蔵)殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1582 | PF9804 | 52/346-12 | 〔書簡〕(御承知の私事一身上の件につき、御心配下され候処、就いては一昨夕着京仕り候、右に付私事一身上の件、本人と愛嬌談判仕り候処、彼是と申し候て際限之れ無く、結局相互に相談の上、長男の方は先方へ引き渡す心得に相成り、他)*挿入文書有、他1通有 | (明治)1月23日 | 北上キヨ(東京日本橋区芳町 北上キヨ、香梅) | 桐生梅田 吉田清蔵様(群馬県下上野国山田郡桐生新町五丁め 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1583 | PF9804 | 50/343-32 | 〔書簡〕(ステーションまで今井君同伴、種々御話之れ有り候内、目下原田与左衛門君の借宅は、相当の家の様子に御座候間、方角並びに家相等に於いて差し支え之れ無く、原田君は来月1日より足利詰めと相成り候事故、転宅するに相違之れ無く候間、右家を借用候かとも相考え申し候間、差し支え之れ無く候哉、御考え下されたく御願い申し上げ候) | (明治)1月24日 | (宮崎)律三 | 吉田大人 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1584 | PF9804 | 10/103 | 〔日記〕(所感日録、白隠禅師、1月25日 佐藤一齊、禅宗、本願寺攻撃よりも禅宗攻撃の方を先にしなければなるまいと存じます、1月26日 チャーレス・キングスレーの作中にある新プラトー派の女学者バイベーシアが基督教に反抗して一道の光明に接せんがために寝床の上に仰臥して一切の妄念を去って無何有の郷に入らんと勉めたなどあるは、、或いは此の位の境界に入ったことを意味するのでなかったろうかと私は思ったことがあります。瞑想と安心、瞑想と活動、など)*表紙欠 | (明治)1月25日 | 罫1冊 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |||
1585 | PF9804 | 49/342-9 | 〔書簡〕(只今大澤氏より電信にて、建家共にて6,300円迄承諾せり、如何するは至急返電せよとの申し越し之れ有り、御安心いかばかりか、金銭を以て計算、御利益と存じ、只今電信にて申し上げ候通り、タテヤトモニテ六三〇〇エンモノカウ、オオサワニタノミトリヒキセヨ、イサイフミ、右の次第につき万事御相談、月末多忙に候間、大澤様へは書面を以て御頼み致し、御協議御取り計らい相成り候様致したく)*封筒有 | (明治)1月26日 | (東京市日本橋区元浜町 宮崎)律三 | (群馬県桐生町五丁目吉田清蔵)吉田父上様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1586 | PF9804 | 52/347-6 | 〔書簡〕(今回帰省中は、種々御厚情謝奉り候、帰途足利御近づきの際、御馳走様に相成り、4時発列車、同夜9時半無事帰会、他) | (明治)1月26日 | 同姓 香(東都日本橋蛎殻町 青山廣吉様方 吉田香) | 桐生故山 吉田伯父・伯母様(群馬県上野国桐生五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1587 | PF9804 | 55/354-2 | 〔書簡〕(今回兄上様御帰京中は、種々御馳走、御厚志に預かり有り難く、茲に御礼申し上げ候、目下御錦地は旧暮前にて皆々様にも無く御繁忙の御事と察し申し候、先ずは御礼まで) | (明治)1月26日 | 為二より | 吉田御兄様、同 お寿美様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1588 | PF9804 | 58/366-12 | 〔書簡〕(本日午前10時頃、御書状着、拝見仕り候処、道中無事宮崎様方へ安着の由、一同安心仕り候、留守宅一同無事に候間、憚り乍ら御放心下されたく候、宮崎様一同、大橋様及び米子さん、皆々様へ宜しく御伝言下されたく、願い上げ候) | (明治)正月26日 | (吉田)隆太郎 | (吉田)為次殿 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1589 | PF9804 | 58/367-4 | 〔書簡〕(寒中とは申し乍ら、殊の外御寒さはげしき義は増し候えども、扨先日は一寸上り種々御馳走様に相成り、ゆるゆる御世話様に相成り有り難く、御礼申し上げ候、他) | (明治)1月26日 | いね より | お宇た様(桐生町五丁目 吉田清蔵様、御家内さま) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1590 | PF9804 | 59/370-12 | 〔書簡〕(いね義も誠に不調法もの、一通りならず御世話に預かり候由、度々申し成し有り難く御礼申し入れ候、他) | (明治)1月27日 | 東京より | 吉田宇た女 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1591 | PF9804 | 132/594-16 | 〔書簡〕(先ず以て其こ許初め子供3人にも無事に暮らされ大慶之の上無く候、其の内参られ候間、其れのみ楽しみ御座候、当十五聯隊野戦隊には、31日より4日迄帰営候趣、他) | (明治)1月27日 | 両親(高崎市龍見町 小笠原鎰次郎) | お寿み様(桐生町五丁目 吉田すみ) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1592 | PF9804 | 45/319-3 | 受領証(金2円、御茶料として恵与、拝受奉り) | (明治)1月28日 | 松坂屋藤七 | 山田様・吉田様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1593 | PF9804 | 45/319-6 | 記(金57銭 御酒1本・宿両3人、金30銭 昼飯3人、金7銭 御酒1本、〆94銭、外10銭 菓子代、〆金1円4銭受取) | (明治)1月28日 | 松坂屋藤七 | 山田様・吉田様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1594 | PF9804 | 60/371-40 | 〔書簡〕(小弟義は、兼ねて御報道申し上げ候通り、本月3日以来感冒の為19日余りを病床に経過候処、幸いにして昨今は漸く快復同様の姿には相成り候えども未だ咳嗽の為に大いに苦しめられ、是れには殆ど難渋仕り居り候次第、他) | (明治)1月28日 | 愚弟 関口憲示 | 吉田大兄 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1595 | PF9804 | 56/355-24 | 〔書簡〕(兼ねて当行へ御依頼之れ有り候株券御買い求めの義、73円20銭、或いは30銭位の由、右もとは手許に之れ有り候義に之れ無く候間、右今日中御回答下されたく、此の段御照会申し上げ候也) | (明治)1月29日 | (第四拾国立銀行支店 松井喜四郎) | 吉田清蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1596 | PF9804 | 63/379-4 | 〔書簡〕(小生も相変わらず降雪にて零度以下35度位にて、中々無事軍務に服し、専心勉励致し居り候間、憚り乍ら御休神下されたく候、他) | (明治)1月30日 | (歩兵第二十六聯隊第二大隊第六中隊第三班)金子良資 | (群馬県山田郡桐生町五丁目) 吉田隆太郎様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1597 | PF9804 | 44/267-13 | 記(金5円 井戸掘代、請取) | (明治)1月31日 | 青木栄吉 | 吉田おたけ殿・吉田清造(吉田清蔵)殿 | 1枚 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1598 | PF9804 | 60/371-34 | 〔書簡〕(去る冬中御繁雑の中、相願い置き候織物出来につき、此の義愈々御心使いを以て御送り下され、結構満足居り、有り難き仕合わせに存じ奉り候、他) | (明治)正月晦日 | 関口 弟 | 金子泉蔵様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1599 | PF9804 | 59/368-7 | 〔書簡〕(初春の御寿ぎ、何方も千里も同じ事に祝い納め、御機嫌宜しく緑の春へ御年重ね、幾久しく、他) | (明治)1月 | 志け子(橋本志げ子) | 御両所様、龍太郎(隆太郎)様、おくら様、皆々様 | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
1600 | PF9804 | 129/592-17 | 〔書簡〕(御よめ子様は引き取り遊ばされ候と存じ居り候処、一時は見合い遊ばされ候事に相成り候由、皆々様さぞさぞ御力落としの御事と存じ候、私事本日参上致し御相談申し上げたく葉書にて申し上げ候処、昨夜芝松本町に出火有り、右の火事にて気抜け致し候、私事も律三出立3・4か月夫の衣類代金にて暮らし居り候えども、実に心細く、三崎町へ引き移り候には30円位なり候えば、参る事はならぬと申し候処、家賃は2円50銭・敷金12円入用につき30円程も拝借致したく、他) | (明治)2月1日 | くら子(東京市芝区愛宕下町一丁目 宮崎くら子) | 吉田御両親様(上毛桐生町五丁目 吉田清蔵様) | 1通 | 桐生市本町四丁目吉田家文書 | |
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